「テンプレートに込められた非テンプレート」メキシコシティ|中南米旅エッセイ①
空港ビル内に入ると、塩素の強い匂いに混じって、ほのかに異国の匂いが漂っていた。僕はそれを懐かしく感じた。小学6年生の時に、母親に連れられてニューヨークに降り立った時の思い出がフラッシュバックした。もう11年前のことだ。僕はあれから身体的な意味でも精神的な意味でも大きくなったはずだ。でも、今僕が感じている高揚感は、11年前の小さな僕と何も変わりがないように思われた。
1. テンプレートに込められた非テンプレート
気をつけてね。
気をつけてね。
気をつけてね。
………
……
…
一体何度「気をつけてね。」と言われただろうか。いい加減鬱陶しくなってきた。何か他の言い回しはないのだろうか。「お気をつけて行ってらっしゃいませ。」とか、「Take care!」とか。まあ「他の言い回し」というのは、そういうことじゃないけれど。
しかし一方でそれを鬱陶しく感じれば感じるほど、自分の中で暖かい気持ちが膨らんでいった。必ずしも、テンプレートな言葉の裏にはテンプレートな感情があるというわけではない。「気をつけてね。」という一つのテンプレートな言葉に秘められた、様々な人たちの様々な立場からの様々な想いに気づかないほど、僕は鈍感じゃないみたいだ。(良かった。)
多分僕も、友達の誰かが中南米に行くと言い出したら同じように「気をつけてね。」と言うだろう。「Take care!」かもしれないけど。
ちなみにそんな中、僕の母親だけはこう言った。
「気をつけてね。…本人が一番わかっているだろうけれど。」
さすがは母親である。僕の心配性をよくわかっている。実際僕は中南米への旅に出ると決めてから、遺書を書いておくかどうかずっと迷っていたくらいなのだ。
また一方でそれほど怯えていながらも、僕の中のワクワク感は少しも静まらなかった。中南米、そこにはどんな景色と出会いが待ち受けているのだろうか。そしてこれは、僕にとって休学中最後の旅でもあるのだ。いやもしかしたら人生最後の旅になるかもしれない。だったら思う存分楽しむしかないではないか。もうここまで来たんだ。後戻りはできないし、する必要ももうないのだと思うと、なぜかすっきりとした気分になった。
2. メキシコシティ国際空港
1月20日、メキシコシティ国際空港に着いた。なんと成田からの直行便だったので、13時間弱しかかからなかった。丸一日かかるようなバスに乗り慣れた僕にとって、もはや13時間なんてあっという間である。
飛行機から降りて、ボーディング・ブリッジを歩く。ガラスの向こう側に見える景色の中に何かメキシコの片鱗を探そうとするが、流石に空港は空港であった。それでも、ガラスに淡く映し出された僕の顔はうっすらと口角が上がっていた。
空港ビル内に入ると、塩素の強い匂いに混じって、ほのかに異国の匂いが漂っていた。僕はそれを懐かしく感じた。小学6年生の時に、母親に連れられてニューヨークに降り立った時の思い出がフラッシュバックした。もう11年前のことだ。僕はあれから身体的な意味でも精神的な意味でも大きくなったはずだ。でも、今僕が感じている高揚感は、11年前の小さな僕と何も変わりがないように思われた。
「お帰りなさい、僕の童心」と呟けば良かったと、今文章を書いていて思ったが、流石にそんな臭いセリフを独り言するほど僕はセンチメンタルすぎなかった。(良かった。)
北米大陸が醸造する特有の成分があってそれがメキシコとニューヨークに共通しているのだろうか、なんてことを考えながら、入国審査の列に並んだ。
無事に入国審査を終えて、バックパックをピックアップした後、いよいよターミナルの外に出る。大きな自動扉の前で僕は一瞬立ち止まって呼吸を整え、そして一歩を踏み出した。
3. メキシコのあたたかさ
ターミナルの外のロビーは、黒いカラーリングも手伝って、照明が薄暗く感じられた。両側には両替所がびっしりと立ち並んでいた。意外にも各両替所ごとにレートに若干違いがあったが、それでもおしなべてアメリカドルとメキシコペソの両替レートは悪かったので、50ドル分だけを両替した。1ドル=17.8ペソというレートだったので、890ペソになった。
空港から市内中心部までの行き方はいくつかあるが、僕はバスを利用することにした。
券売機でSuicaのような交通ICカードを購入して、50ペソをチャージしておいた。片道は30ペソ。1ペソは日本円で6円弱なので、180円弱くらいだ。しかし乗り場の場所がわからない。
インフォメーションのおばさんに場所を訊くと、建物を出て左手に少し進んだところにバス停のマークが書いた柱があるという。ぎこちないスペイン語で「Gracias!」(グラシアス。ありがとうの意)と僕が言うと、おばさんは微笑みながら熟練のウインクをした。歳をとるのも悪くないな、と思わされるほどそのウインクは綺麗で、そして余裕のある優しさがこもっていた。
バス停には他にバスを待っている人はいなかった。メキシコシティの標高は2000mほどで、富士山の五合目くらいの高さがあったが、それでも流石に1月の東京と比べれば圧倒的に暑かった。
*
バスから見るメキシコの風景は今までのどの地域とも異なっていた。ヨーロッパほどに建築の意匠が統一されているわけでもないし、東南アジアほどには密度も高くはないように思う。メキシコ人と聞いて真っ先に思い浮かべる、口ひげとつば広帽子の典型的なメキシコ人が意外にも結構いたことも、それまでの国との違いを感じさせる原因だったかもしれない。
メキシコシティにはいくつか有名な日本人宿があって、そのうちの一つに泊まるつもりだった。宿近くのバス停で降りると、荷物をがっしり両腕で抑え、しきりに周囲を見回しながら、その宿を探した。しかし中々見つからない。英語が話せる通りすがりのおじさんが心配してくれて、二度も「何か探しているの?」と声をかけられた。
なんとか宿を見つけてチェックインしたのは15時前だった。客があまりいなかったおかげで丸々貸切状態になった部屋で、早速ベッドに突っ伏すと、長時間フライトの疲れと14時間の時差にすっかりやられて、僕はそのまま翌日まで眠ってしまった。
おばちゃんのウインクや、宿探しを心配してくれたおじさんのことを思うと、殺人率が高いと言われるメキシコだからと言って、人が冷たいわけではないのだと感じた。偏見を抱いていたような後ろめたさを若干感じながらも、一方で少しほっとした。それは油断とはまた違う感情だったと僕は思う。
〈あとがき〉
お読みいただきありがとうございます。
休学が終わり、今は普通の大学院生をやっています。
普通といえば普通、普通ではないといえば普通ではないかもしれませんが、それこそが普通なのかもしれません。何が言いたいかと言うと、多分僕は休学前より少し個性的になったと思うけれど、個性的である状態こそが本来「普通」なのかもしれないと言うことです。
はてなブログの無料版を使っているのでそこまで綺麗にはなりませんが、新しい編のはじめに、少しサイトをすっきりさせてみました。次回以降もお読みいただけると大変嬉しく思います。
ちなみに殺人率の話ですが、以下のデータによると、2016年で203カ国中メキシコの殺人率は20位、日本の殺人率は194位だそうです。日本の下にはモナコやバチカンが含まれているので、相当良い数字ですね。
世界の殺人発生率 国別ランキング・推移 – Global Note
あ、それからもし良ければ他のエッセイも読んでみてください。
ブログの投稿順はバラバラですが、時系列としては
- プロフィール
- ロンドン・パリ編
- インド編
- ヨーロッパ縦断編(エッセイではない)
- 東南アジア編
- 中南米編
の順になっております。
それぞれの最初の記事を貼っておきます。
1.プロフィール
2.ロンドン・パリ編
3.インド編
4.ヨーロッパ縦断編(エッセイではない)
5.東南アジア編
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