悩める東大生の休学タビ記録

人生に悩んだ東大生が、休学して世界中を旅した経験を綴ったエッセイブログ。

「別物」トゥルム・カンクン|中南米旅エッセイ8

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ピンクラグーン

僕らのしている「旅」と彼女たちのしている「旅行」は、別物なのだと思った。

 

 

 

〈前回の記事〉

spinningtop.hatenablog.com

 

 

 

1. トゥルム・新婚旅行

 

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バス内で盗難未遂騒動に遭い、心的な疲労を抱えていた僕を、肌をじりじり焦がすような南国の日差しと、海の水分をたっぷりと吸った空気が襲った。ユカタン半島にある街トゥルムだ。

バスを降りて、まずは米ドルをペソに両替するために銀行に行く。世界的リゾート地カンクンがすぐ目の前にあるだけあって、ドルとの両替レートは比較的良くなっていて、それがうんざりした気分を幾分慰めた。

 

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メインストリート

あちこちで歩道の改修をしていたが、すでにリゾート地を感じる綺麗さ。

 

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宿の近くの道

 

メインストリート沿いに並ぶ、旅行代理店の看板を眺めながら、値段が安そうなところを探した。肩に大きな刺青が入ったいかにも南国の遊び人といった風貌のお兄さんのカウンターで、マヤ文明の代表的な遺跡であるチチェンイッツァへのツアーを翌日朝出発で申し込む。一度宿にチェックインしたあと、大通りに出てコレクティーボに乗り込み、最東端のマヤ文明の遺跡であるトゥルム遺跡へ向かった。

 

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ジャングルで育ったマヤ文明は、東へと足を伸ばし、ここトゥルムで遂に海へと到達したのだ。遺跡にもかかわらず、海岸沿いはビーチとして開放されていて、海水浴をする人々を後ろから支えるようにマヤの遺構が堂々と海を睨みつけていた。

 

宿は綺麗でシャワーの水圧も温度も申し分なかったが、蚊が多かった。部屋は二段ベットが二つある4人部屋だったが、僕はそのうち一つの上段で、それぞれのベッドの下段にはカップルが二人の計3人だった。夜になると、部屋の中から荒い息遣いが漏れてきた。

 

 

翌日はチチェンイッツァ遺跡の観光ツアーに参加した。メキシコ東部にはセノーテと呼ばれる陥没した土地に水が溜まった地底泉のようなものがあるのだが、このツアーでは途中セノーテイキルというセノーテに寄った。飛び込み台のようなものが用意してあって、僕はたった一人で飛び込んだ。2回並んだ。ビュッフェ形式の食事も、僕は早々に食べ終え、レストランの外に出てバスが出発するのを待っていた。

 

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チチェン・イッツァ

マヤ文明の遺跡に行くのが子供の頃からの憧れだった。

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命がけの球技場

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生贄の心臓を捧げた祭壇



 

さらにその翌日は、宿においてあった自転車を借り、朝から5kmほどの道のりを走って、グランセノーテへ向かった。透明度が高く、朝の日差しのもとで水中から光のカーテンがみられるのが売りだ。

 

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グランセノーテ

水中カメラを持っていなかったのが残念

 

しかし、セノーテに入る人が多くなると水底の砂が舞い上がって曇ってしまうため、特別ツアーを組んで本来のオープン時間前の人がまだいない時間から中に入る人もある。そういうツアーを組むのは、大抵日本人だ。新婚日本人カップルだらけのセノーテには日本語が飛び交っていた。

 

 

 

 2. カンクン / ピンクラグーン

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プラヤ・デルフィナ(英語でドルフィンビーチの意)

 

その日の夜、2時間半くらいかけてバスでカンクンへ移動した。噂を聞いていたとある日本人宿に行く。ピンポンをならすと、中から短髪でメガネをかけた真面目そうなお兄さんが出てくる。オーナーはちょっと変わったおじさんだと聞いていたのだが。

 

結局お兄さんは、ただの宿泊客であったことが後から判明した。

 

カンクンは世界的なビーチリゾートであり、ダイビング等も盛んである。僕もライセンスは持っていたが、数日後に飛行機に乗る都合上、そして財布の都合上、ダイビングはしなかった。

代わりにバスに乗って、プラヤ・デルフィナというビーチに行ったり、船に乗ってイスラ・ムヘーレスというビーチの綺麗な島に行った。波打ち際を行ったり来たりしながら、海鳥の写真を撮った。それだけして、早々に引き揚げた。誰か一緒にいたら、ゆっくりバカンス気分に浸れるのかもしれなかった。

 

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イスラムヘーレス



 

ある日、僕含めた日本人男子3人で、ピンクラグーンへ出かけることにした。ピンクラグーンというのは、カンクンからバスを乗り継いで4.5時間ほど西にある塩湖のことで、どうしてだかは知らないが、真っピンク色の水が張っているのだ。

 

観光客が増えた結果かどうか、本当にここ数ヶ月のレベルで、バスの値段は値上がりしており、タイムスケジュールも変わっていた。

 

朝7:30にカンクンからティシミンという町へ行くバスに乗り込む。ネット情報では120ペソということだったが190ペソに値上がりしていた。

 

バスに乗り込むと、日本人の大学卒業旅行らしき女の子が二人乗っていた。年齢が全員近かったので、少し話してちょっと打ち解けた。3時間ぐらいしてティシミンにつくも、カンクンとティシミンの間には1時間の時差があるので、まだ9:30すぎだった。ここからさらに、ピンクラグーンのあるラスコロラダス村までもう一度バスに乗る必要がある。

 

 その前に、ティシミンからカンクンまでの帰りのバスチケットを買おうと思い、僕ら5人はカタコトのスペイン語Google翻訳を駆使し、受付のお姉さんに話しかけた。

16:30発と17:30発の二本があったが、受付のお姉さんは買わせてくれない。

「今からラスコロラダスにいくのであれば、17:30にはここに帰ってこれないので、間に合わない」というのだ。

 

メキシコのバスの値段や時刻表はここのところ数ヶ月単位でコロコロ変わっている。ティシミンからラスコロラダスまでは、1時間半かかるのに、ラスコロラダスからティシミンへの帰りのバスは16:30発の一本で、すなわち18:00にティシミン着になるので間に合わない、というのだ。

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ティシミンバスターミナルの一等バス時刻表

 

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二等バスの時刻表

確かに時刻表上は一等17:30が一番最後のバスになっている

 

女の子二人はそれでも16:30のチケットを二枚買った。僕らは「流石に帰れないということはないだろう」と思い、その場で受付のお姉さんと交渉をすることを諦め、帰ってきたときにチケットを買うことにした。

 

ラスコロラダス村へのバスは10:30に出発する。それまでティシミンバスターミナルの近くのメルカドでご飯を食べることにした。女の子たちはローカルなメルカドでご飯を食べるのは初めてらしく、しきりに衛生状態を気にし、ビビりながら食べていた。ああ、僕らのしている「旅」と彼女たちのしている「旅行」は、別物なのだと思った。

 

 

右手にピンク色の湖が広がった。ラスコロラダスは西部劇にでも出てきそうな、乾いた土地にポツンと広がる小さな村だった。

 

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ラスコロラダス

コーディネートもひったくれもない僕の後ろ姿を添えて

 

ピンクラグーンの方へ向かうと、どこからか警備員が飛んできて、僕らを注意した。「お前らは入る資格がない」。一体何が起こったかわからなかったが、辛抱強く聞くとこういうことだった。

 

ピンクラグーンは、産業用の塩田であって、観光用に近づけるエリアが制限されている。エリアに入るときは、ガイドをつける必要がある。ガイドは説明や記念撮影をしてくれるが、一方で工業用の塩田を観光客が汚さないように見張る役割も果たしている。

実は、僕の気づかないうちに、後ろの方で僕らのうちの一人が、エリアの外に小さくはみ出していた塩湖に足を踏み入れていたのが監視員の目に留まったため、僕らはその時点でブラックリストし、入場拒否を受けることになったのだ。

 

その時点で、女の子二人は、ティシミンからラスコロラダスまでのバスの中で一緒になった若い香港人の男性と固まって、僕らから黙って距離をおき、さも「私たちは香港人で彼ら日本人とは関係ありません」という感じでそそくさとエリアの中に入っていった。

悪いのは、僕らだ(というか足を踏み入れたそいつだ)。が、僕は、またしても僕たちと彼女たちの間に隔たりを感じざるをえなかった。

 

結局カタコトのスペイン語と英語でひたすらに謝ることで、僕らも入れてもらうことができた。一度許してもらえると、管理者側も気持ちよくピンクラグーンを案内してくれた。

 

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ピンクラグーン

 

ピンク色のラグーンは綺麗だが、その観光もあっという間に終わり、僕らは乾いた小さな村に取り残された。まだ時間は昼前で、帰りのバスは16:30なのだ。気づくと女の子たちは村のどこにもいなかった。彼女たちはいつの間にか、(誤解を恐れずに言えば、僕らに別れを告げることもなく)タクシーを捕まえて帰ったのだ。

 

それから4時間僕らはひたすらに待った。僕らは貧乏旅人でタクシー代を払えないし、そもそもその小さな村にはほとんどタクシーはこなかった。

村は、塩田の側にある精製工場で働く従業員で構成されているらしく、街にはレストラン1軒・食堂1軒・生活用品店1軒しかなく、レストランは観光客を狙っているのか物価が高く、食堂もシーフード中心のメニューだったため高かった(正直記憶が定かではない)。

 

僕ら3人は結局、何もない村をぐるっと散歩したり、海沿いまで歩いてみたり、日陰でうとうとしてみたり、雑貨屋でコーラを買って乾きと空腹をしのいだりした。

16:30にバスがやってきて、僕らはとうとう暇から解放された。ティシミンのバスターミナルには本当に18:00につき、確かに17:30のバスには間に合わなかったが、18:30発の二等バスがあって(やっぱり。)、行きよりも安い150ペソでカンクンまで帰ることができた。 

 

 

〈あとがき〉

一応断っておきますが、彼女たちを責めたりはまっったくしていません。

人には人のタビスタイルがあるのです。