悩める東大生の休学タビ記録

人生に悩んだ東大生が、休学して世界中を旅した経験を綴ったエッセイブログ。

「アジア人差別?」バラコア|中南米アジア旅エッセイ13

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車内には観光客は1人もおらず、全員現地住民だった。座った瞬間嫌な感じがした。車内のあちこちからニヤニヤした顔が向けられ、「Chino, Chino」と呼ばれた。アジア人差別を感じた。無視して耐えた。

 

 

〈前回の記事〉

spinningtop.hatenablog.com

 

 

 

1. バラコア

サンティアゴ・デ・クーバのカサを朝の6:50に出た。これからもっと東にあるバラコアという小さな町に向かう。バラコアはキューバのほぼ東端に位置する。バラコアでの宿は、サンティアゴ・デ・クーバで泊まっていたカサのオーナーが知り合いを紹介してくれて、事前に電話連絡もしてくれていた。カサのオーナーが次なる町のカサを紹介してくれるのは一般的なようだ。

 

 

サンティアゴ・デ・クーバのViazulバスターミナルに着くも、案の定バラコアからハバナまでのバスチケットは買えなかった。行ってみるしかない。帰れるかどうかはぶっつけ本番。バスは8:00頃に出発し、13:30にバラコアに着いた。

 

 

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バラコアは、キューバの北側の海岸沿いに位置する。トリニダーとサンティアゴ・デ・クーバは南側だった。そのせいか、海の色がこれまでと違った。瑠璃色の絵の具をベタ塗りにしたような濃い青色だった。海は大きく揺れていて、陽の光が透過している部分が宝石のような透明感と艶を持って輝いている。

 

海外旅行パッケージに申し込むと、現地の空港でお迎えがきていることがある。出国ロビーに出ると、名前を書いた札を持っている係の人が立っている。そんな感じで、バラコアのバスターミナルでは、僕の名前を書いたおばちゃんが待っていた。"YRO"と書いてあった。多分「イロー」と呼ぶのだろう。スペルも読みも惜しいが違う。でも自分の名前だとわかった。

 

おばちゃんに待ってもらって、窓口でハバナ行きのバスを買おうとする。衝撃的なことに、バラコア2月22日発ハバナ2月23日着のチケットしかなかった。それでは飛行機に間に合わない。あたふたしていると、怪しい青年が2人話しかけてきて、翌日コレクティーボ(乗合タクシー)で、50cucでハバナまで行くという。怪しかったが、話に乗るしかなかった。正直に言うと、Viazulの正規のバスが66cucだったので、この時はまだ少し得した気分ですらあった。

 

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2. 次に再びこの町を訪れるとき

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カサのおばちゃんが、Bici Taxi(自転車タクシー)をとめ、僕を乗せた。カサまでは少し距離があるから、これに乗りなさいということだった。おばちゃんは自分のチャリに乗り込んだ。僕は重いバックパックを背負ったまま、60歳くらいのガリガリのおじいちゃんが引っ張る台車に乗る。世界は何かがおかしいと思った。

数分すると宿についた。自転車を漕いでくれたおじいちゃんは、カサのおばちゃんに水を少し飲ませてもらって次なる仕事へ出ていった。

 

1泊しかしないというとおばちゃんは不機嫌そうだったが、僕も正直残念だ。バラコアには自然公園があったり、ここにしかいない珍しい生き物がいたりして、本当はもっと時間を費やしたかった。しかし飛行機を逃すわけにはいかなかった。

 

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ロブスターのココナッツミルク煮

 

少し休んで、昼食を食べに行った。ガイドブックでおすすめされていたレストランに行くと、もうお昼時を過ぎていたからか、他に客は誰もいなかった。オーナーはおばちゃんで、ウェイターは20歳の息子だった。なかなかにイケメンだったし、英語がしゃべれた。バラコア名物のロブスターのココナッツミルク煮を頼んだ。タイのマッサマンカレーを思い出す味だった。

料理が来るまでの間、彼と談話していると、彼もまたNARUTOのファンであることが発覚した。彼曰く、ONE PIECEは微妙らしかった。よくよく考えると、ここはカリブの島なのだから、海賊は彼らの専売特許かもしれなかった。

 

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店を出ると、ブラブラ散歩に出た。町の後ろには、テーブルマウンテンが堂々と屹立していた。山から出る不思議なオーラが街全体を神秘的に包んでいた。町から山の方へ行くに連れて、町並みが少し古びている印象を受けた。馬車が走っていた。配給所のような場所に行ってみた。社会主義キューバでは、最低限の食料等が配給されているようだった。大勢の女性が並んで、カウンター越しに物品を受け取っていた。

 

このあたりでは、カカオが取れるらしく、チョコラテというココアのような飲み物が名物だった。ウォッカかラムかが少し入ったチョコラテも飲んでみた。いつだかディズニーシーで飲んだホットココアのカクテルに似ていた。甘ったるく、アルコールもツンときた。

 

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あまり観光客のいない町外れで、地元の子供たちがサッカーをしているのを眺めた。そうしていると、自分は将来もう一度この町に来ることはあるのだろうか、と思い始めた。旅に出るようになってから、一期一会をすごく大切にするようになった。機会があれば躊躇せず行動するし、誰かと過ごすひと時に熱量を持って接した。それは、もう自分が二度とその場所を訪れることはないことを自覚していたからだ。ものすごく短い人生を、何度も何度も繰り返しているみたいだった。でも…もし将来再びこのキューバの端っこの町まで来ることがあったら、その時、この町はどう変わっているのだろうか。そして僕は、どう変わっているだろうか。

 

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宿まで帰る途中で「NARUTO!」と声をかけられた。昼のレストランの青年だった。「帽子うちに忘れてるよ。Big Bossが持っているよ。」と言われた。自分の母親兼レストランオーナーをBig Bossと呼んでいた。青年は素敵な女の子と手を組んで歩いて行った。微笑ましかった。

 

 

3. アジア人差別?

翌日のお昼過ぎに、カサまでお迎えがきた。昨日バスターミナルでコレクティーボの客引きをやっていた青年2人だった。「あれ?君たちも一緒にハバナまで行くの?」と聞くと、爽やかに「Yes!」と言った。怪しい匂いがした。彼らがハバナまで行くのは、ビジネス的に非合理であると思われたからだ。

 

少し大きめの軽トラを改良したみたいな車に乗り込んだ。後からヨーロッパ系のバックパッカーも何人か乗り込んできたので、少し安心した…のも束の間、不安は現実になり始める。走り始めたコレクティーボは、バラコアの外れで一旦停車し、先程の客引きの青年2人は30Cucだけを請求して降りて行った。

 

4時間かけて、そのままサンティアゴ・デ・クーバに着いたものの、そこで乗客は全員降ろされる。戸惑う僕を尻目に、他の旅人たちは意気揚々と降りていく。彼らはこのコレクティーボが、最初からサンティアゴ・デ・クーバ行きだと知らされていたようだ。騙されていたのは僕ひとり。戸惑う僕に漬け込もうと更なる客引きがやってくる。ハバナまで行くコレクティーボがあるという。怪しいと思いながらも、もう話に乗るしかない。40cucしたので、結局は正規のViazulバスの方が安かった。

 

今度は引っ越しのトラックを改良したような車だった。荷台の部分に、金属でできたベンチが所狭しと並べられている。本当に窮屈で、バックパックを持った状態で座ると、人ひとりが座れる最低限のスペースしかなく、横になることはおろか、寄りかかるものもなく、リラックスした姿勢は全くとれない。おまけに、隣に座っている男はでかい。

 

車内には観光客は1人もおらず、全員現地住民だった。座った瞬間嫌な感じがした。車内のあちこちからニヤニヤした顔が向けられ、「Chino, Chino」と呼ばれた。アジア人差別を感じた。無視して耐えた。コレクティーボ19時出発の翌朝8時到着ということだった。

 

21時頃に休憩があったが、当然まともな休憩所ではない。夜にもかかわらず、なぜか客席前方に据えられたテレビはレゲエのMVが絶えず流れていて、神経はこれっぽちも休まらなかった。隙あらば、車内中から「Chino」とからかわれる。休憩中に買ったコーラを少しこぼしてしまった。エアコンはなく客席は暑かった。そして早朝になると今度は寒かった。コンディションは最悪で、半ば放心状態のまま一晩揺られ続けた。