【インド編①】デリー
「なんでインドなんか来ちゃったんだ、帰りたい…」
1. インドに来た理由
「なんでインドなんか来ちゃったんだ、帰りたい…」
僕はデリーメトロ駅の出口付近に座り込み、どうしようもない今の状況に打ちひしがれながら、ボロボロの野良犬が目の前を歩いて行くのに怯えていた。
この話を始める前に、僕がなぜインドに来たか、むしろなぜ〈来なければいけなかった〉のかを話す必要があると思う。
しかしこれから語る内容は、全て後付けの理論武装であり、直感的に〈インドに呼ばれている〉感覚があったから、というのが正直なところだ。
直感というのはいつも非論理的で、しかし同時に「超論理」的であるのだ。
大学3年の時、仲のいい学科の友達の影響で僕は就活に手をつけ、多くのことを学び多くのことを考えた。
結局就職には踏み切れなかった。
そこにはいくつかの理由があったが、まず僕には大学で何かを学んだという感覚が無かった。
ろくに授業も聞かず、試験直前の3晩ばかりかけて過去問の解法を暗記する。それでまずまずの成績がとれる。試験が終わると全ては忘却の彼方に消えていった。
だからこのまま就職したら、大学に来た意味が無かったのではないかという気がしてしまった。
僕は〈何かを学んだという感覚〉を求めていた。
翌年の8月、僕は既に大学4年生であり、翌月に迫る大学院入試に向けて受験勉強をしていた。
試験の科目選択については、比較的簡単だと言われる地盤工学を選択することにしたが、僕は地盤工学に関する学部の講義を1つも取ったことが無かったから、参考書を買って自力で一から勉強をしていた。
大学に入ってから初めて体系的な勉強をしたように思うし、何より4年ぶりに日々勉強しかしないという時間を過ごした。
結局、僕は8割以上の高得点で大学院入試をパスした。
このとき僕は〈何かを学んだ充実感〉を得た。
しかし同時にどこかで違和感を感じた。
確かに大学入学以来初めて体系的に何かを学び、単なる解法暗記以外の方法で解答用紙を埋めた。
でもこれが僕の求めていた〈何かを学んだ感覚〉なのだろうか。
だとしたらそんなものは、ちっぽけだ。
正直地盤工学自体にそこまで興味はなかったし、詰め込み型の受験勉強とテストで高得点をとる、ただそれだけが求めていたものだとしたら、僕はなんと希薄な人間なのだろうか。
僕はどこか遠くへ行きたくなった。
物理的な意味と同時に、それよりも強く精神的にどこか遠い場所へ。
ふと、パリで出会った18歳のバックパッカーの子がネパールの火葬場の話をしていたのを思い出した。
ガンジス川のほとりで、遺体が焼かれる。
遺体は外から丸見えだから、人が焼かれていく光景がありありと見える。しかしその光景はグロテスクというよりもむしろ美しい。
僕はその「美しい」という表現が心に引っかかっていた。
また別の話で、インドではほとんど全旅人がお腹を壊すという話を聞いた。
アジアではすぐお腹を壊すと聞いていたから、お腹の弱い僕はアジアには行きたくないとずっと思っていたけれど、全旅人がお腹を壊すというインドならば僕も条件は一緒だな、と思い始めた。何より沐浴で有名なヒンドゥー教の聖地バラナシには、ネパールよりも有名な火葬場があって、同じ光景を見られる。
ここよりも遠いどこかへ。
その「どこか」は僕にとってたまたまインドという形で現れたにすぎなかったのかもしれない。
2. 典型的で、でも巧妙な詐欺
深夜にインディラガンディー空港に着き、始発を待ってメトロで市街へ向かう。
メトロの駅を出た瞬間そこには異世界が広がっていた。
海外自体は全く初めてではなかった。
でも、ハワイ、グアム、ニューヨーク、ロンドン、パリ、台北、それらとは全く異なる種類の光景だった。
強烈な大気汚染の影響か、町は砂煙に包まれ、独特の異臭が漂っている。
路上に座り込んだり眠ったりしている人々の姿は、とてもみすぼらしく感じられた。
鳴り止まないクラクションと路上に溢れるゴミ、そしてガリガリに痩せた野犬。
ただでさえ怖い中、一人でポツンとたたずんでいると孤独感が追い打ちをかける。
安宿やいろんなお店が集まるメインバザールは、鉄道のデリー駅を挟んでメトロの駅とは反対側にある。そこに行くには鉄道駅にいくつかかかる陸橋のどれか1つを越えて行く必要がある。
ここに1つ有名な詐欺がある。
陸橋を渡ろうとすると、どこからともなく話しかけてくるインド人が現れる。
「今日は陸橋を渡れない。政府観光局DTTDCで許可証を貰う必要がある。」
そう言ってグルになっているバイクタクシー『リキシャー(トゥクトゥクとも言う)』に乗せられ、偽の観光局に連れていかれ、高額な偽の許可証やら観光ツアーを買わされる。
この手の話はこの陸橋にはよくあることで、どのネット記事やガイド本にも注意喚起が書いてある。
陸橋に入るには荷物検査と金属探知ゲートをくぐる必要があった。
発展途上国にとって鉄道駅は軍事拠点になりうる重要な施設であって、中々チェックが厳しくなっているようだ。
金属探知ゲートの奥には、肩掛けのでかい銃を持った軍人が3人立っており、金属探知機のすぐ手前にはきちんとしたスラックスと襟付きのシャツを着て、首から社員証のようなものをかけた少し気の弱そうな男が一人いた。彼のことは1人目と呼ぼう。
僕が金属探知機をくぐろうとすると、彼はこう言った。
「このゲートは切符がないと入れないんだ。隣のやつから入ってくれる?」
軍人も特に何も言わなかったし、そんなものかと思って隣の陸橋へ向かった。
そこで僕は事態に気づくことになる。
隣の陸橋の金属探知機のところに先ほどと似たような身なりの、でも気の強そうな男がいて、ゲートをくぐろうとするとまた止められた。彼は2人目だ。
中々意思の疎通がとれなかったが、おそらくこういうことだった。
「DTTDCで許可証を取れ。そうじゃないと危ない。君のためだ。ついてこい。」
そういって、リキシャーのところに誘導される。僕はDTTDCの単語で気づき、誘導されるフリをして彼の後を追うのをやめ、次の陸橋へ向かった。
3つ目の陸橋が、少なくとも目に見える範囲の最後の陸橋だった。
金属探知ゲートのところに人はおらず、難なくくぐる。
しかし階段を登っていざ橋を渡ろうとすると、そこで待ち構える3人目の男。
引き止められるも、僕は「大丈夫なはずだから」と言って無理矢理通ろうと試みる。
その時だった。
なんと2人目の男が背後からやってきて、僕に向かって罵詈雑言を吐き、胸ぐらに掴みかかってきた。
僕は摑みかかられながらも、横を素通りして行くインド人の目の奥に、僕に対する哀れみが潜んでいるのを捉えていた。こう書くといかにも僕は冷静だったように見えるが、実際は全くもって冷静ではなくて完全にとり乱していた。
しかし摑みかかられては無理矢理通ろうにも通れない、手を振り払うと、仕方なく逃げるように階段を降りた。
50メートルくらい歩き、背後を盗み見ると、1人目の男が距離を保ち、無関心を装いながら僕のことを尾行しているのに気づいた。
3人ともグルだったのだ。
3.はじめの一歩
とりあえず僕は比較的綺麗なメトロの駅に逃げ込むしかなかった。
メトロの駅と言っても地下まで行くのではなくて、地下に続くエスカレーターのある建物の地上部分に退避した。
ガリガリに痩せた犬が入ってくる。致死率100%、狂犬病の三文字が頭をよぎる。
僕は砂埃まみれの地べたに座りながら、恐怖に怯えた。
「なんでインドなんか来ちゃったんだ、帰りたい…」
30分以上そうして地べたに座りながら怯えていたと思う。
でも帰りの飛行機のチケットは2週間先だ。
簡単には帰れない。
不安と絶望と、僕は必死に戦った。
そうした末に思った。
もし今毅然として一歩を踏み出さなれけば、インドに来た意味はない。
ただ2週間怯えながら帰りの日を待つことになる。
1人目は気も弱そうだったし、彼のところなら強行突破でいける。
思うに、歩き始めてから100歩を歩くよりも、始めの一歩を踏み出す方が何倍も難しい。
それはちょうど真冬の朝に布団から抜け出すのが難しいのと同じだ。
この一歩目を気合いで踏み出せるやつは立派だと思う。でも僕はそうではなかった。
僕の場合どちらかというと踏み出さざるを得なかったのだ。あるいは、大抵の人間はそんなものなのではないかと思う。
踏み出さざるを得ない状況が背中を押してくれるのを待つのも悪くはない。それが人生のどのタイミングで訪れるかは問題かもしれないけれど、仕方ない、それもまた人生だ。
僕は勇気を振り絞って一歩を踏み出した。
結果だけいうと、1人目はもはや持ち場を離れていて僕は余裕綽々と陸橋を越え、メインバザールへと到達した。
まだ早朝だったから、全然賑やかではなかったし、メインといっても道は舗装されておらず、生ゴミだらけで野犬のように牛がゴロゴロ歩いている。
ガイドブックに書いてある小綺麗なマップが、この道を表現しているとは、にわかには信じがたい。
僕は記念に自撮りの動画を撮った。その動画の僕の声は明らかに棒読みで、怯えで心ここにあらずという心境が見え見えだった。
しかし一方で、まるで刑務所から脱獄に成功した犯罪者が「やった、俺はやったぞ…!」と言っているような、絶妙な達成感からくる震えもそこにはあった。
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