悩める東大生の休学タビ記録

人生に悩んだ東大生が、休学して世界中を旅した経験を綴ったエッセイブログ。

7年の大学生活が終わる

先日東京大学大学院を卒業しました。
これで休学の1年を含む、7年続いた大学生活も終わりました。

 

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修了式

 

本当は3/31に投稿したかったのですが、まとまりせんでした。本当は節目の気分はFacebookに投稿したかったのですが、諸事情ありFacebookはやめました。だから代わりにこのブログで、今の自分の考えを少しだけ書きたいと思います。(結局まとまりもしませんでした。)

 

 

端的に僕の大学生活を振り返ると、正直に言って、すごく孤独だったなと思います(自己憐憫は嫌いですが、本当のことを書かないと意味がない)。誰にも相談できない悩みを抱え、比較的明るいキャラを演じた。誰も見ていないところで溢れそうになる感情の渦を抱えこみ、あるいは何も応答をしてくれなくなった感情に外科的な刺激を与えた。あるいは旅も、そうした刺激の一つだったのかもしれません。まあそれはそれでよかったと思います。比較的孤独とお友達になれた方だとも思います。

 

そうした中で学んだことは、「人を幸せにしたいという想いは、自分のエゴだ」ということです。救いようのない学びです。でも僕には幸せにしたい人たちがいます。その中には僕自身も含みます。

あるアニメで、準ヒロインが言う台詞があります。「本人が幸せだと思っているから、幸せだということにはならないでしょう 」。これもまたエゴイスティックだとは思いますが、僕らの人生が1回しかないことを考えれば、あながち間違っているとも言えない気がします。

 

僕のスタンスはこうです。「仮にそれがエゴであったとしても、自分ひとりの重さでエゴを成し遂げる」。これが大学生活を終えた現在の僕の、「セカイ」に対するコミットの仕方です。エゴかもしれない、間違っているかもしれない。だけど自分が本当に正しいと信じるものがあるなら、自分1人の責任の範囲でそれを実行し、責任を引き受ける。そうするしかないと思うんです。

少しわかりやすく「責任」という言葉を使いましたが、一番最初に「責任」ではなく「重さ」と書いたのは、この文脈における「責任」は社会的な責任ではなく、それはもっと魂に基づく個人的な代償だからです。

 

エゴだと気づき何もしないことを選ぶ人もいると思います。それはそれで正しいとは思います。片方には、代償を払わねばならないエゴの道があり、片方には代償のない正しい道があるのです。どちらの道を選べばいいかは一目瞭然です。しかし、そうした現状維持で満足できるのは、常に既得権益側の人だけだとも思います。

 

僕自身を当然含む、僕の周りの多くの人は、既得権益側でしょう。何もしないで現状維持をしていても不自由ない暮らしを送れるでしょう。でも、今の社会におけるトレンドとシステムを維持することによって、誰かが生きづらくなっているであろうことは意識すべきだと思います。既得権益側には、残念ながら原罪がつきまとうのです。まあそういってる自分自身も、先ほど言った二つの道の岐路で、エゴの道を選ぶのは困難です。でもせめて、開き直って忘れることのないようにすべきだと思っています。

 

僕にはまだ自分の重さをかけてエゴを成し遂げようとしても、それを成し遂げられるだけの真の強さも真の弱さもありません。あるいは、根本が間違っているのかもしれません。他人を啓蒙したり、批判できるだけの潔白さもありません。

ただ卒業に際し、将来何年後かにこのブログを読み返す自分自身に宣言しておきたいのは、誰になんと言われようと、それでも僕は悩み続けるつもりだ、ということです。

 

抽象的で散らかった話になってしまいましたが、幸か不幸か、本題の旅エッセイはまだ終わっていないので、それが完結するときにまた結びの文章を推敲することにします。