悩める東大生の休学タビ記録

人生に悩んだ東大生が、休学して世界中を旅した経験を綴ったエッセイブログ。

「旅立ち」バンコク|東南アジア旅エッセイ①

「あーあ、カオサン来ちゃったよ」

 

【東南アジア旅エッセイ第一弾】

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1. はじめに

僕は大学生を卒業するまでに、どうしてもヨーロッパと東南アジアを旅したかった。

 

ヨーロッパ縦断から帰って来て、学会に出て(休学中であったのだが、世の中はそういうことになっている)、そして僕は東南アジア旅に出た。

 

 

正直なところ、あまり旅に出たくはなかった。

ヨーロッパ一人旅中に蓄積された寂しさの反動で、帰国した途端居心地がよくなってしまい、日本を出たくなかった。

変な話だけれど、今回休学して旅に出たことによって、僕は自分の周りにこんなに人がいたんだと感じた。

「帰って来たら連絡してくれ!」

「無事に帰って来てくれたらそれでいいよ、気をつけてね」

そんな言葉をたくさんもらった。

自分のことを多少なりとも気にかけてくれる人間がいるということに、僕はそれまで気づいていなかった。

そうして、そういう人たちがいる日本を僕は暖かく感じた。

一体どうして、こんな暖かい場所からわざわざ離れ、ひとり東南アジアに行かなければいけないのだろう?

 

僕はその答えを出せないまま、自分の中のもう一人の僕が無理矢理バンコク行きの航空券を買ってしまった。

旅に出たくないなんて言っていられない状況にわざと追い込んだ。

僕はこの旅でその答えを見つけることができるのだろうか。

 

 

 

2. 焦点の合わない目でバンコクを見つめる

そんなわけで、憧れであったタイはバンコクバックパッカーの聖地カオサンロードに着いた時も、

「あーあ、カオサン来ちゃったよ」

と、ちょっと冷めていた。

 

ヨーロッパと日本の綺麗さに慣れきっていた僕は一度インド慣れしたにも関わらず、バンコクの汚さですら中々きつかった。

 

 

衛生状態に怯えながら、パッタイ(タイの焼きそば的料理)を食べた。

 

大通りから少し外れた住宅地の細く暗いジメジメした道を抜けて、ホステルに着いた。

 

同室の日本人のおじさんに捕まってビジネス論をくどくど語られ、この旅が終わったらお坊さんになるのだと言う同い年の男の子と少し愚痴った。

 

カオサンからはかなり遠いフアランポーン駅まで歩いて行って、地下鉄に乗り込み(パリより綺麗だ。パリが汚いだけだろうけど。)、タラートロットファイラチャダーの夜景を見た。

 

宝石箱のような夜景。若い日本語が聴こえた。僕は独りだった。

 

王宮のあるワットプラケオでは短パンでの入場を断られた。

 

暁の寺と呼ばれるワットアルンを見に、片道たった4バーツ(≒13.6円)の船に乗って夜の川を渡った。まるで深海にでも通じているような暗さの水だった。

 

雨季特有の激しいスコールが降って来た。僕はただぼーっと軒先から滝のように流れ落ちる水を見つめた。

 

日本にいる女の子からラインが来た。彼氏の愚痴みたいなもんだった。

 

ナナプラザという風俗にも行って見た。

一杯約700円のビールを2杯飲んで、やる気のない女の子たちによるポールダンスのようなものを眺めた。

出張らしい日本人のサラリーマングループが次々に女の子を買っていった。

それだけ見て、飽きて宿に帰ってしまった。

 

 

僕はバンコクの風景を見ている自分の姿を、空から見つめている気分になった。

うまく現実世界に焦点を合わせることができなかった。

もちろん楽しいし刺激的な日々だ。

でも、僕自身そこにはいないような、自分の本体はどこか別の場所にいるような気分がした。

 

 

 

3. 啓示的な出会い

翌日僕は宿を変えた。

カオサン近くの宿は実はあんまりアクセスが良くないのだ。

 

英語がペラペラの(実際僕ははじめ彼女をオーストラリア人だと思った)綺麗な地元の女の子と、ヴェネツィア出身のイタリア人の男の人がフロントをしている宿だった。

 

二人はとても親切で、もう前日の夜中にも関わらず、僕のために観光プランを考えてくれて、結局ツアーの方が安いということで、翌朝のツアーを申し込んでくれた。

 

そうして僕は翌日、完全に観光地と化した運河上の船で開催されるダムヌゥンサドゥアク水上マーケットと、現役の鉄道路線上で開催される(電車が来る時間に合わせて、お店は著しいスピードで一時的に畳まれる)メークロン市場を見に行って、宿に帰り、昼寝をした。

 

そして僕は宿で1人の日本人と会うことになる。

少し年上のお兄さんだった。

個人情報は書きたくないので、表面的な記述に留めたい。

それに、そういう人たちとの個人的な会話や経験は言葉にすると失われてしまう類のものだし、僕にとってそれは、僕だけの大切な宝物なのである。

 

とにかく、お兄さんはその時タイのバンコクから始めて、ラオスベトナムカンボジア、そして再びタイのバンコクへと一周して来たところだった。

 

それは偶然にも、僕が漠然と頭の中で思い描いていたルートと同じだった。

何一つ事前に調べて来なかったから、バンコクから次はどこへ向かえばいいのかとか、国境を越えるバス等があるかとかもわからなかったから、情報をもらえたのはすごく助かった。

 

そして何より、旅の話をするお兄さんの目の中に、僕は何か「ホンモノ」を見た気がした。

 

その日の日記に僕はその出会いについて

〈一種の運命的なものを感じた〉

と書いている。

 

それは啓示的な出会いだった。

まるでどこかの誰かが僕を見ていて、「前に進め」と言われている気分だった。

 

バックパッカーが作り上げたタイの田舎町パーイに、ラオスに出るという山賊に、ベトナムまでの壮絶な国境越えに、カンボジアでの学校ボランティアの話に、僕の心は高鳴った。

空に浮かんでいた僕は、僕の身体の中に入って来た。

現実世界に焦点が合った。

 

 

翌日僕はお兄さんと別れを告げて、次の街へ向かうべくフアランポーン駅から電車に乗り込んだ。

 

 

 

 

あとがき

バンコクはまた一周した後に帰って来ることになります。

その時にもうちょっと街の描写ができたらなと思います。

それからゴーゴーバー以外の風俗で受けたある衝撃についても。

写真を少し載せます。

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パッタイ
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↑ワットアルン 
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↑タラートロットファイラチャダー
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メークロン市場

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↑ダムヌゥンサドゥアク水上マーケットf:id:frogma:20180930211431j:image

↑ナナプラザ

 

続きはこちら↓

spinningtop.hatenablog.com

 

 

 

 

 

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