悩める東大生の休学タビ記録

就活に悩んだ東大生が、休学して一人旅に出る。そんな旅の記録。

「一期一会」バンコク再び|東南アジア旅エッセイ⑩

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僕らは生きている限り、何も選択していないように見えても、その裏で確実に何かの機会を失い続けている。それは音もなく静かに消えていくために、ほとんど気づかないだけだ。

 

 

《前回の記事》

spinningtop.hatenablog.com

 

 

 

1. 一期一会

 

朝6:30過ぎに起きた。今日はタイに再び入国し、バンコクまで行く予定だった。

少し寝坊してしまった。ピックアップは7:15に来る。僕は慌てて荷物をバックパックに詰めた。

 

トゥクトゥクで小さな町の旅行代理店に連れて行ってもらい、そこでバスを待つことになった。

旅行代理店の隣に小さな商店があって、レジには少し太ったおばちゃんが一人いた。僕はそこで手持ちのリエル(カンボジアの通貨)を使い切ろうとして、ポケットティッシュなど消耗品をいくつか選んでレジに持っていった。合計金額は僕の手持ちのリエルよりも高かった。

 

余談だがカンボジアではリエルの他に米ドルも支払いに用いることができる。大抵1ドル=4000リエルとして扱われ、店によっては実際の為替レートにもう少し忠実に1ドル=4100リエルだったりする。併用も可能だ。つまり12000リエルの支払いに対して、2ドルと4000リエルという払い方もできた。自国の通貨への信頼性の低さから、他国の通貨が流通しているという状況は日本では考えられないし、これも僕にとって一つの学びだった。

 

話を戻して、僕は米ドルを追加で出してまで物品を買いたかったわけではなかったから、ポケットティッシュを一つ棚に戻そうとすると、おばちゃんは僕に「いくら持ってるの」と尋ね、僕は手持ちのリエルを全部示したあと「今日これでタイに行っちゃうからリエルを使い切りたかったんだ」と言うと、足りない分をおまけしてくれた。本当は記念として少し手持ちにリエルを残しておくつもりだったのだが、全て使い果たしてしまった。

 

 

バンコクへ向かうバスの途中、砂っぽい大通り沿いにある商店で途中休憩があった。

少しお腹の調子が悪かったが、そこでは何か飲み物を買わないとトイレを使わせてもらえなかった。ただその値段設定は旅行者の足元を見た金額だったし、そこまでトイレに行きたいわけでもなかったから、どうしようか迷った。

 

そうこうしていると、日本人の女の人が一人話かけてきた。僕は同じバスに日本人なんていないと思っていたからびっくりしてしまった。その人を見かけなかったのではなく、ちゃんと見かけたのだが、日本人だとは思っていなかった。身なりが旅行者や旅人っぽくなかったからだ。それに彼女は休憩の最中、お店の人とクメール語で会話していたというのもある。

 

彼女の名前は仮にカヨさんということにする。目元が北川景子に似た美人で、黒い服(腕のところにレースみたいなのが付いていた気がするが定かでない)がとてもよく似合っていた。歳はわからないけれど、僕より少し年上のお姉さんという雰囲気だった。シェムリアップにもう一年住んでいて、コショウのお店を開いているということだった。カンボジアのコショウは普通のコショウと一味違っていてとても美味しいのだが、カンボジアではいい感じの容器があまり手に入らず、よくバンコクまで買い出しに行くのだという。

 

僕はふと思い出して「記念用にリエルが欲しいから、少額だけ僕が持ってるタイバーツと交換してもらえませんか」とカヨさんにいうと、カヨさんはただでピン札の100リエルをくれた。

 

 

カンボジア側の国境で降ろされて、イミグレーションに歩いて向かった。カヨさんは先にスタスタ行ってしまった。病院の待合室か、あるいは古びた郵便局の受付みたいな部屋に多くの観光客・現地人がひしめいていた。この行列のことをカヨさんは知っていたのだろう。

 

出国審査が終わって、タイ側のイミグレーションまで再び歩いて向かう。タイのイミグレーションはとても綺麗な建物だった。ここからはタイなのだ。経済が変わる。

 

タイ側のイミグレーションを済ませると、バスターミナルというよりは大きな駐車場のような場所に出て、カヨさんはその入り口にいた。これから別のバスに乗り換える必要があるから声がかかるまで待ってくれ、と係らしき人物が言った。

 

どういうシステムになっているのかいまいちわからなかったが、同じバスに乗ってきた乗客がそっくりそのまま別のバスに乗りかえるというわけではなく、別々のバスに分散乗車させられるようだった。

カヨさんは先に連れられて行く人々を指して、「多分あの人たちフィリピン人だと思うんだけど、多めにお金を払っているから先に連れて行ってもらえるのよ。前にきた時は私だいぶ待たされたわ」と言った。

日本語のわかるアメリカ人二人が話しかけてきて(そのうちの一人は完全に日本語ペラペラで中国語も話せるらしかった)、僕らは4人でサンドイッチを食べながら声がかかるのを待った。

 

カヨさんは係の人と何かクメール語で話した。

その後しばらくして、まずカヨさんだけに声がかかり、バスの方へ連れて行かれた。残された三人はまだ呼ばれなかった。突然のことだったので、僕らは別れの挨拶をすることも、連絡先を交換することもできないまま別れることとなった。

アメリカ人の一人が「カヨはなんで先に連れて行かれたんだ?」と僕に訊いた。

僕は「多分彼女がクメール語を喋れるっていうことが係の人に伝わったから、少し贔屓されたんじゃないかな」と答えた。

 

(文脈的に誤解されそうなので、カヨさんの名誉のために言っておくと、彼女はクメール語で「自分だけ先に連れていってくれ」と言ったのでは決してない。詳しくは覚えてないが何か他の些細なことについて質問しただけだ。)

 

それから少し後に僕ら三人も呼ばれた。僕とアメリカ人二人もそれぞれ別々のバスに連れていかれた。

 

 

バスの車窓に流れていく景色の中に、何かタイらしきものを見出そうと奮闘しながらも(セブンイレブンが散見されるのがタイらしかった)、僕は同時に「ああ、連絡先くらい交換しておけばよかったな」と思った。でもこれも一期一会ということなのかもしれない。

 

僕は旅を始めてから、一期一会を大切にするようになったと思う。

日本での生活では基本的に取り返しのつくことが多い。今日その本を買わなくても明日買える。今日レポートを書かなくても明日書ける。今日そのアトラクションに乗れなくても、いつかまたディズニーランドくらい来れる。今日好きな子に告白しなくても、そのうち機会はあるだろう。

 

でも旅先では違う。もしその土地でしか見られない風景があったら、今のうちに見ておかないともう一生そこには来ないかもしれない。そこで出会った人に伝えたいことがあるなら伝えておかないと、もう一生会えないかもしれない。そしてそういう可能性はそれなりに高いはずだ。旅先での経験は、全てが初めてで同時に全てが最後になりうる。

その時々を精一杯生きること。過去でも未来でもなく今この瞬間に焦点を合わせること。これもまた、旅によってしみじみ実感させられたことの一つだ。

 

 

 

 

2. リスクがリスクじゃなくなって、リスクじゃないことがリスクになる

 

バスがバンコクカオサン通り近辺に到着したのは夜の8時頃だった。僕はもうほとんどバスの遅れを気にしなくなっていたが、予定より数時間遅れたはずだ。

 

降り際、一人の日本人女性が話しかけてきた。彼女の名前はサユリさんということにしておこう。多分彼女も僕より少し年上くらいだと思う。

話を要約すると、ホテルを予約していたのだが、思っていた場所と違う場所で降ろされてしまったし(一人旅あるある)、時間も遅くなってしまったので、もし可能なら僕の泊まる場所に一緒に連れて行ってもらえないか、ということだ。

 

僕が「ホステルですけどいいですか?」と言うと、「初めての海外一人旅で色々不慣れなので、今日一泊寝るだけ寝られたらそれでいいです」と言われたので、一緒に僕の予約したホステルへ歩いて行った。会話しながら、僕も初めてひとり旅に出た時のことを思い出した。その時はひたすらあらゆるものが怖かった(よかったらインド編①を読んでみてください)。あれからもう一年近く経つのだ。

 

 

ホステルに空きがあってサユリさんも無事チェックインすることができ、僕らはカオサンに戻って夕食を食べることにした。

サユリさんはずっとパッタイが食べたかったのだと言い、なんでもない屋台のパッタイをすごく美味しそうに食べた。僕はビールを飲んだ。その日は国王の誕生日ということで、アルコールの販売が禁止されていたらしいのだが、屋台のおじさんは「秘密にしろよ」と念押しした上で、こっそり売ってくれた。

 

サユリさんは、自らの最期を自宅で迎えることを希望する方々の介護をしているそうだ。自然と死についての話題になった。僕もこの一年間で2度死に直面した経験があったから(インド編⑥ならびに東南アジア編⑧参照)、その時に自分の感じたことを話した。

サユリさんは、終末を迎える人々がよく口にするという言葉を教えてくれた。それは、「あんなに働かなくても良かった」とか「もっと自分の気持ちに素直になれば良かった」という言葉だそうだ。

 

 

死を前にすると、〈ある種のリスクがリスクじゃなくなる一方で、ある種のリスクじゃなかったものがリスクになる〉というリスクの反転が起こるのかもしれない、と僕は思った。それは実際に僕自身の中でも起こりつつあることだった。

やり残したことを想いながら死んでいくこと。あるいは、それに挑戦する体力を失った状態でただ死を待つしかないこと。自分の内に秘めている大切な想いが誰にも届かないまま自分の死と一緒にこの世から消えた場合に、「自分がそういう想いを抱いていた」という事実の存在自体が、自分が死んだ後の世界では無かったことになってしまうこと。

もっとも大きなリスクは、貧乏になってしまう可能性でも自分が傷つく可能性でもなく、自分に素直になれないまま機会を逃してしまう可能性だ、と感じ始めたとき、リスクに対する考え方が逆転するのだ。

 

機会の損失は死によるものだけではないはずだ。例えば僕は22歳(当時)で、22歳は一生で一年しか訪れない。そして多かれ少なかれ「22歳の自分」にしかできないこともきっとある。僕らは生きている限り、何も選択していないように見えても、その裏で確実に何かの機会を失い続けている。それは音もなく静かに消えていくために、ほとんど気づかないだけだ。

 

僕はビールの最後の一口が喉に流れていくのを丁寧に感じとった。

 

 

 

《あとがき》

タイは今回で終わらせるつもりだったけど、もうあと一記事、、。

やっぱり旅先での考えごとは、場所よりも人との出会いから始まっていくみたい。

 

今回の記事で話題にあげた過去記事のリンクを貼っておきます。

【初めての一人旅】

spinningtop.hatenablog.com

 


 

【死に直面した経験】

spinningtop.hatenablog.com

 

 

spinningtop.hatenablog.com

 

 

 

 

続きはこちら↓ 

spinningtop.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

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