「人生初ヒッチハイクの挑戦」キャメロン・ハイランド|東南アジア旅エッセイ⑬
一人の女性が近づいて来て、「もし泊まるところがなければ私の部屋ベッド二つあるから泊まってもいいわよ?」と声をかけてくれた。
僕は丁重に断ったが、その申し出の暖かさに心を打たれた。どこの誰かもわからない異国の男を自分の部屋に泊めようとする女性がこの世の一体どこにいるのだろうか。
《前回の記事》
ヒッチハイクの挑戦
ペナン島からキャメロン・ハイランドという町へ向かった。
キャメロンハイランドは標高が1500メートルを超えており、南国のマレーシアにおいて貴重な避暑地になっている。実際とても涼しく、むしろ肌寒さを感じたほどだ。空気もとても爽やかだった。
日本の軽井沢のような位置付けの場所で、日本人も何人か住んでいるらしかった。
キャメロンハイランドには大規模なティープランテーションや、ラフレシアの咲くトレッキングコースがある。トレッキングには行かなかったが、ティープランテーションを見学するツアーに参加し、自宅用に紅茶のお土産を購入した。
プランテーションはかなりの絶景だったのだが、現地ガイドから茶畑で働いている外国人労働者(多くはバングラデッシュなどから来ているとのことだった)の話を聞いているうちに、なんだか手放しで感動できないような気がしてしまった。労働者用の住宅や幼稚園もあったし、それが彼ら彼女らにとって良い環境なのか悪い環境なのかはわかりかねるけれど。
ツアーに行ってない間は、美味しいスコーンを安く食べさせるカフェに入り浸って日記を書いたり本を読んだり、ゆっくり時間を過ごした。
事件は最終日に起こる。
その日僕は16:00のバスでクアラルンプールに発つ予定だった。チケットは事前に宿を介して購入し、宿までピックアップが来ると言うことだったので荷造りをして待っていた。
しかし実際はそうではなかった。16:00になってもピックアップは来ず、少し不安になって待っていると(マレーシアはわりと時刻表通りに物事が進んでいたからだ)、宿のオーナーがやって来て僕の姿を見るや「あれバスは16:00じゃなかったっけ?」と言った。
僕はピックアップが来ると聞いたはずだったのだがと思いつつも、急いでリュックを背負って、町のバスターミナルまで走った。
バスターミナルに着いたのは10分後で、バスはもう出発していた。僕が息を切らしながら呆然としていると、窓口のおばちゃんが僕のところに来て「今何分だと思っているの!とっくにバスなんて行ったわよ!」と怒鳴りつけた。
僕は文句を言うどころか、まだ何も言っていなかったのだけれど。宿からの伝達ミスでバスを逃した挙句とばっちりで怒鳴られるのには、理不尽だという気もしなくはなかったけれど、まあ仕方ない。僕が誰かに逆ギレしたところで話は何も解決しないし、怒りの連鎖をうむだけだろう。
ただクアラルンプールで宿を予約してしまっていたから、今日中にはたどり着きたい。
仕方ないので次の17:00のバスを購入し直そうとすると「今日はもう売り切れよ!」とまたおばちゃんに怒鳴られた。なす術なし。
キャメロンハイランドは本当に小さな町だったから、もうすることもないし、もう一泊するのは時間的にもお金的にも勿体無いような気がした。しかもまだ16:00だ。
そこで僕はあることを思いついた。
「ヒッチハイクしてみよう」
どの道やることはないのだ。挑戦して失うものもないだろう。少し怖いけど。
そんなわけで人生初ヒッチハイクを僕はマレーシアで挑戦することになった。
雑貨屋のおじちゃんに身振り手振りでダンボールが欲しいと伝えると、店の裏から好きなだけ持って行きなと言われたので、ありがたく一枚頂戴してボールペンで大きく「To KL」(KLはクアラルンプールの略称)と書いた。
はじめはダンボールを掲げるのすら躊躇した。なにせ小さな町だ。全視線が僕に集中する。しばらくしてから、日が落ちたらお終いだと気づき、少し吹っ切れた僕はダンボールを片手で掲げて、もう片方の手で親指を突き立てた。
イポーというクアラルンプールと反対側の町へなら乗せてあげられるんだけど、という人が何人か直接声をかけに来てくれたが、クアラルンプールに行く人は見つからなかった。
通りを行く車は全く止まらなかった。「ごめんな」という風に手をあげる人もいる中、僕に向かって車内からブーイングをする人もいた。
一人の女性が近づいて来て、「もし泊まるところがなければ私の部屋ベッド二つあるから泊まってもいいわよ?」と声をかけてくれた。
僕は丁重に断ったが、その申し出の暖かさに心を打たれた。どこの誰かもわからない異国の男を自分の部屋に泊めようとする女性がこの世の一体どこにいるのだろうか。
雨が降って来た。僕はその間ヒッチハイクを中断しなければいけなかった。なんでヒッチハイクなんかやっているんだろう。僕は雨に降られながら、ただ立ちすくんだ。
それでも雨足が弱くなると、再開した。なんとなくやめるわけにはいかなかったのだ。
軽トラックの荷台に若者をたくさん積んだトラックが逆方向の車線を通っていった。そのうちの一人の女の子が日本語で僕に叫んだ。
「もしかして日本人ですかー!!」
「そうです、終バス逃しちゃって!」
「わー、こんなところで日本の人と会えたの嬉しい!頑張ってくださいね!」
僕はその女の子の活発な雰囲気に元気をもらって、まだもう少し続ける気になった。
二時間くらい経ったある時、マレーシア人の若いカップルが僕に声をかけて来た。
「すぐそこに安い宿あるから教えてあげるよ。ついて来な!」
僕はその親切を頭から断ることができなくて、「そんな安い宿はないはずだけど」と思いつつも少しついて行くことにした。あたりはだんだん暗くなり始めていた。
「ここだよ。あれ…あんまり安くないな」男性はそういうと、僕に申し訳なさそうな顔をしてから少し考え、女性に目配せをして、女性の持っていたカバンから何かを掴むとそれを僕の手に押し付けた。それは50リンギット札だった。日本円で1500円くらいだが、物価を考えると5000円くらいの価値があった。
「いやいや、もらえませんよ」と僕が返そうとすると、二人はそれを断固拒否し、逃げるように去ってしまった。
僕はその優しさの前に折れた。
ヒッチハイクを続けるなんていう意固地な態度をとることは僕にはもうできなかった。ヒッチハイクを続けることは、その優しさをふいにしてしまう行為に思われた。
身体の奥に強い震えを感じた。
僕は優しさの連鎖を次に繋げられる人間にならなければいけない、そう強く思った。
《あとがき》
あと数記事で東南アジア編完結…!!
ようやくゴール見えて来た!一気に書き上げたい!
ところで本当にこのアライグマ可愛い。(キャメロンハイランド のバタフライファームにいたやつ)
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