悩める東大生の休学タビ記録

就活に悩んだ東大生が、やりたいことをみつけ、休学し旅をする。そんな旅の記録。

「4都市に関する話」ベトナム縦断|東南アジア旅エッセイ⑦

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ビーチまで歩いてすぐなのだから砂浜で寝ればいい、と思いつき水着に着替えて、防水ポーチの中に財布と携帯を入れてビーチへ向かった。ほんの少しだけ平泳ぎのフォームを確かめた後、防水ポーチを肩から斜めに掛けた状態で砂浜に横になった。天気は曇りだった。目が覚めたのは2時間後だった。

 

 

《前回のあらすじ》

乗り換えの時間も含めると総計32時間に及んだバス移動を経て、ラオスのバンビエンから国境を越えてベトナムの首都ハノイへ。国境での賄賂(?)に関するドタバタがあったり、韓国人のジュンソとの刺激的な出会いがあった。

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1. フエ

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ハノイにあるSinh Touristという有名な旅行代理店でホーチミンまでのオープンバスチケットを購入した。このバスチケットによって、僕はベトナム中部のフエ、ホイアン、ニャチャンに寄りながら、最終目的地ホーチミンまで向かうことができる。

 

夕方6時に出発したバスは夜9時ごろの食事休憩を挟み、翌朝7時にフエに到着する。途中の食事休憩は幹線沿いの大衆食堂の様な所で、意外にメニューが充実しているが僕にはそれらが全くどんな料理なのかわからなかったから、結局フォーしか注文できなかった。

 

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フエは日本でいう古都京都の様な立ち位置の都市である。約2.5km四方の堀で囲まれたエリアがあり、その中に600m四方の旧王宮がある。入場料は150,000ドン、日本円で約750円とやや高額であり一度は入場を躊躇ったが、入ってみると広大な土地に立派な建物や庭園が広がっていて迫力があった。ただし、その多くの部分がベトナム戦争で破壊されており、後に残った建物の残骸や芝生に南国の日差しが鋭く照りつける様子は、僕の頭の中に「夏草や 兵どもが 夢の跡」という言葉をこだまさせた。

 

ある日宿近くにある二階建てのオシャレなカフェに入って甘いベトナムアイスコーヒーを飲んでいると、店員と客全員の視線が僕に向かっているのに気が付いた。実は客だと思っていた人たちも客ではなく、その店にいた全員が店員兼家族であるようだった。僕はお店に唯一の客だったのだ。お母さんと思わしき女性と、僕と同い年くらいの長女と思われる女性が、照れ臭そうな笑顔を浮かべている中学生くらいの男の子を僕の方に差し向けた。14才の彼はほんの少し英語が話せた。実は彼と彼の弟の二人で今月中に日本へ2週間のホームステイに行くのだという。彼の目は日本への憧れで輝いていた。僕には若干の後ろめたさみたいなものが自分の中にあるのを感じ、その目を直視することが中々できなかった。受け入れ先の家族の履歴書みたいなものを見せられたが当然知り合いではなかった。


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夜には川沿いで行われているナイトマーケットに行った。橋のたもとで、チェーと呼ばれるスイーツを食べた。色とりどりの多様な甘味があって、そこからいくつか好きなものを選ぶあんみつのような食べ物だった。それぞれの甘味が一体何なのか全くわからなかったから、店員さんにお任せした。その後に食べたものも含めて、ここのチェーが一番おいしかった。

 

また別の日には一日中お腹を壊してしまい、でもそれが逆に一人前のバックパッカーになった気分にさせた。

 

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2. ホイアン

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ホイアンはフエからバスでたったの30分弱しか離れていない。その昔日本人街があった町だ。宿で自転車を借りて、世界遺産になっている街並みへと繰り出した。黄色の壁をした中国風の建物が立ち並ぶ通りが川沿いに2本あって、頭上にはカラフルかつ形状に富んだ提灯がたくさんかかっていた。その美しさに空腹も忘れ、いい角度を見つけては一眼のシャッターを切り続けた。

 

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日が沈んであたりが暗くなり始めると川に灯篭が流される。柄の長さが人の背丈ほどあるお玉のような棒の先端に灯篭を乗せて、河岸からゆっくり着水させる。父親に嫌々商売の手伝いをさせられていた12才くらいの女の子にお金を払って、僕もひとつ灯篭を流した。無数の火が夕暮れの中で静かに波に揺られ、その間を観光客の乗る手漕ぎ船がゆっくりと行き交った。

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屋台では焼き鳥ならぬ焼きガエルが売っていた。不思議なことに美味しそうにも見えたが、ひとり旅では誰も僕のリアクションを見てくれる人がいないので、おとなしくバインミーというサンドイッチ(ベトナムラオス同様フランスの植民地だった影響で、フランスパンを用いたサンドイッチとコーヒーが美味しい)とLARUEというビールを飲むことにした。

 

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ホイアンは小さな町だけれど、いくつか特有の料理があって、これがすごく美味しかった。カオラウといううどんのような料理、ホワイトローズというワンタンのような生地の中に海老などが入った料理、それから揚げワンタン(揚げたワンタンだ)が僕のお気に入りだった。

 

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3. ニャチャン

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ニャチャンはベトナム随一のリゾート地と言われる。この町はとにかくロシア人が多い。社会主義が関係あるんじゃないかとか、いくらか噂は聞いたが定かではない。

 

バスは早朝5時くらいに着いてしまったので、宿のレセプションのドアを静かに開け、ロビーで誰か従業員が起きるのを待った。従業員2人ほどはそのロビーのソファーに横になって寝ていた。6時くらいにひとり起きたが、どちらにせよチェックインの時間ではないので結局10時くらいまでロビーでだらだら過ごしたが、激しい睡魔に僕の頭は揺れはじめた。そこで、ビーチまで歩いてすぐなのだから砂浜で寝ればいい、と思いつき水着に着替えて、防水ポーチの中に財布と携帯を入れてビーチへ向かった。ほんの少しだけ平泳ぎのフォームを確かめた後、防水ポーチを肩から斜めに掛けた状態で砂浜に横になった。天気は曇りだった。目が覚めたのは2時間後だった。

 

宿に帰る途中で、猛烈な倦怠感に襲われていることに気づいた。風邪を引いたかな、と思ったが、宿に着いてチェックインを済ませた頃から、体がヒリヒリして来た。シャワールームでTシャツを脱ぐと、滑稽なことに防水ポーチの紐の部分を残して全身真っ赤だった。右肩から左腰まで伸びる白い紐の線は、3ヶ月たった今も僕の身体に残っている。倦怠感は、ひどい日焼けによる脱水症状だったのだ。数時間するとTシャツと肌が擦れるのも堪え難いほど痛みが増し、結局ニャチャンに滞在していた丸3日もの間、バファリンで痛みをごまかしながらご飯を食べに行き、ココナッツオイルを身体中に塗りたくって大人しく寝る、という生活を送った。

 

 

4. ホーチミン

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ホーチミンではまず真っ先に病院へ行った。本当に痛みで何もできなかったのだ。フランス人と思わしき医者に英語で事情を説明した。医者は「Not too bad.」と言った。僕の人生史上では一番酷い日焼けだったのだが。案の定翌日全身が水ぶくれだらけになっていた。

 

病院からの帰り際に仏風の駅舎のような造りをした中央郵便局に寄って、家族に手紙を出した。同年代くらいの若い日本人観光客がチラホラいた。日本語で手紙を書いているところをあまり見られたくなかったので、ベンチの隅でこっそり推敲した。木でできた電話ボックスみたいな投函口に手紙を入れる際、目の裏にじーんと来るものがあった。

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それからドンコイ通りにある劇場の前で日本の某ゼネコンがJVを組んで作っているメトロの工事現場をチラ見し(僕の大学での専門は一応土木工学)、ラオスとの国境で出会ったフィンランド人とブイビエン通りで飲み、翌日には1000円もしないメコン川ツアーに参加したり、紀伊国屋(!)で太宰治の「斜陽」と内田樹の「寝ながら学べる構造主義」を買ったりした。

 

 

 

 

 

そうして僕はカンボジアの首都プノンペンへと向かうのだった。

その時の僕は、「死と愛」が僕のことをそこで待ち受けているとは想像もしていなかった。

 

 

 

 

《あとがき》

実は当初僕は、この東南アジア旅に関してエッセイ風のブログを書くつもりは無かったのですが、ある記事をどうしても書きたくて、いや書かねばならぬと思って、この一連のエッセイを始めました。

その記事こそ次回の記事です。

ただし常軌を逸している意味不明な記事になると思います。

 

ちなみに、日焼けで病院に行った際にクレジットカード付帯の保険を利用したのですが、その手順に関しては以前に別記事でまとめましたので、もし必要な時がくれば参考にしていただければと思います。↓

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