悩める東大生の休学タビ記録

就活に悩んだ東大生が、やりたいことをみつけ、休学し海外で一人旅をする。そんな旅の記録。

「青」バンコク・タオ島|東南アジア旅エッセイ⑪

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夕暮れどきのビーチを覆う南国の暖かな空気に身体を解きほぐし、爽やかな笑い声の響を聴く。

僕にとっての平成最後の夏。そこには素敵な青春があった。

 

 

 

《前回の記事》 

 

spinningtop.hatenablog.com

 

 

1. テーメー・カフェ

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タイには「ゴーゴー・バー」と呼ばれる性風俗形態がある。

世界三大風俗というのがあって、一つはオランダの「飾り窓」、もう一つはドイツの「FKK」、そして「ゴーゴー・バー」。

「ゴーゴー・バー」に関して言えば、一つの店舗というよりは、小さな性風俗店の集合からなる地域や複合施設のように思ってもらった方がいいかもしれない。また、タイのゴーゴー・バーが他の世界三大風俗と大きく違うのは、レディーボーイ専門店や、レディーボーイも女の子も両方いる店があったりする点ではないかと思う。

 

個々の店舗ではポールダンスみたいなショー(ショーとは言えないかもしれないけれど)が行われていて、女の子には番号が付いているから、係のおばちゃんを呼んで指名したい女の子の番号を伝えると、女の子は舞台から降りてきて一緒に席についてくれる。

そこからは交渉というか、客による「品定め」(あんまりこういう品のない言い方はしたくないけど)が行われて、OKならしかる金額を払った後女の子と二人で店外に隣接したホテルや、あるいは客の宿泊しているホテルに行く事になる。

 

ところで、ここまでゴーゴー・バーについて解説してきたものの、これから話すのはゴーゴー・バーについての体験ではなくて、テーメー・カフェと呼ばれる、非プロ(あるいはプロも混じっているのかもしれないけれど、その場においては少なくともどこかのお店の属しているわけではないという意味では非プロ)の女の子たちが売春交渉をするカフェについてだ。

 

それはスクンビットと呼ばれる地域にある。スクンビットには他にソウカウボーイ1、ソウカウボーイ2と呼ばれるゴーゴーバーがあって、ナナプラザという複合施設型のゴーゴーバーがあるナナにも近い。テーメーカフェは、BTSという電車が高架で上を通っているスクンビット通り沿いの、あるホテルの地下にある。

 

 

スクンビット周辺はカオサン周辺とは違って、かなり開発の手が入っていて高層ビルが多く、首都を感じさせる。一方でスクンビット通りの歩道では、路上で売春をしている人がいたり、あちこちでアダルトグッズを売っていたりして、いかにもという感じだ。

 

正直に言うと、ここに来たのは2回目だった。前回は人と一緒だった。その時も冷やかしだけしておきながら、終電を逃して二人で宿まで6キロほど歩いて帰った。

でもその日僕は一人だった。どうしても、その空気感にもう一度一人で包まれてみたかった。

 

ホテルの入り口脇にある階段から地下へ下る。

照明が若干暗い室内。中央と右奥にはバーにあるような高いカウンターテーブルみたいなのが置いてあって、男たちはそこでお酒を飲みながら、どの女の子がいいかと目を光らせている。

僕は先ほど、「その空気感にもう一度一人で包まれてみたかった」と言った。その空気感には、異様なものが感じられるのだ。そして、その異様なものを生み出しているのは、店内にいる女の子の数だ。

 

店中に売春をしている若い女の子がたくさん立っている。東京での比喩になってしまって申し訳ないが、例えば渋谷のハチ公前や新宿東口交番前の人だかりみたいに、びっしり女の子が立っているのだ。

そして、そのカフェ(一応入場料がわりみたいな飲み物は頼まなきゃいけないし、ご飯も食べられるらしいが、もはやカフェという名前を冠している売春交渉の場所)にいる女の子たちは全員売春をしているのだ。

 

男たちはそんな人だかりの間を歩きながら、あるいは席につきながら、声をかける女の子を探す。もちろん向こうから勧誘もしてくるのだが。客のほとんどは日本人・韓国人・中国人であり、ちらほらと西洋系の人の姿も見える。

 

僕はセブンアップを買って、店内を一周ぐるっと回りながら自分に向けられる数多の視線をくぐり抜け、中央のカウンターテーブルの内側に腰を落ち着けた。

その売春人数の圧倒的な多さを前に、一体バンコクの売春人口はどうなっているんだろう、と思わざるを得なかった。そこまで思ってから、僕は自分の中に性の売買に対する偏見みたいなものがあるのに気づく。僕はハッとしてその偏見を嫌悪する。でもしばらくしてから、その偏見に対して100パーセントの嫌悪を寄せるのは本当に正しいものなのだろうか、とも思う。

 

もちろん自分から好きで売春をしている人たちに関する偏見を(偏見を抱くまでは個人の勝手だとしても)公に発言したり、他に押し付けたりすることに対しては全力で嫌悪感を表明しなければならないだろうと思う。

 

一方で売春は時間に対して得られる収入が大きいから、本当はやりたくないけどやるしかないという人もやはりいるのではないかと考えると性産業というものを一括りにして、その全体について偏見を抱いたり、あるいはその偏見について嫌悪感を抱くことはできないだろうと思う。性的欲求に翻弄された様々な感情が介入してくるあたりも、厄介だ。やりたくないけどやるしかない、という状況なら性産業以外にもあるはずだ。そこにどんな差異があるというのか。

 

隣の席に座っていた白人が僕に話しかけてきた。瘦せぎすで、酒の酔いもあってか目がいやにぎょろっとしている。髪はもうほとんど白髪になっていて、訛りのある英語を話す。多分40代くらいだと思う。イタリア人で、普段はチェンマイの大学で教師をしているという。

彼は僕に、タイ人の平均月収や売春の値段がそれの何割に相当するかを高説し、その結論として売春金額が高額であること、したがって僕のような若い人間は値切る権利があるし、値切ることも実際可能であるから、もしお金がなくて躊躇しているようなら値切れと主張した。やたらに顔が近かった。

僕の嫌悪感の対象は、そうして「品定め」する男たちと、客観的に見てそこに含まれている自分自身に遷移した。

 

化粧のすごく濃いおばちゃんが一人寄ってきて「特価にするからどう?」とカタコトの日本語で話しかけてきた。彼女はどうやら、うぶな(つまり童貞っぽい)日本人の若者を自ら狙いに行ってるようだった。

「私のことは安心していいから。私と一緒に寝た若い日本人の男の子もたくさんいるのよ」と言って、実際に何人かの日本人の男の子の写真を見せられた。僕は心のうちで「おいおい、お前ら商売に使われてるぞ」と思った。

その後何度も断ったのだが、すごくしつこかったので最終的には無視することにした。

 

僕は、その場所の異様な雰囲気にあてられた放心と、自らのうちに潜む偏見と嫌悪の合間で完全に打ちひしがれた。いっそのこと自分の中から性欲なんて無くなってしまえばいいのに、と願った。無くても死にはしないし、時にはそれのせいで冷静さを失いさえするのだから。

 

気の抜けた甘ったるいセブンアップを飲み干しとっくに空になったグラスを、僕はいつまでも口にあてがい続けた。そうしていないと、ぐちゃぐちゃに入り混じった感情の爆発を抑えられそうになかった。

 

 

《なかがき》

まえがきでもなく、あとがきでもなく、なかがき。

当時の日記を読み返しながら記事を書きつつ、その時点での考えと今の考えも違うから、ついつい横から口を出したくなってしまうんですよね。言い訳させてくださいみたいなところもあるかもしれない。

 

まずなんか「青いな」って感じがしますよね。

思春期が始まった時から、その欲求が自分に必要不可欠なものであると認めつつも、どこか別のところにいる自分は、時に出家したいと思うほどにそれを激しく嫌悪する。

結局生とは、高潔と堕落を同時に求めるカラマーゾフ的矛盾を抱えた自己を全肯定するところから始まるのかもしれないな、なんて思ってるんですけど、どうでしょうか。

 

最近小さい時によく言われた「あんまりペチャクチャ喋ると嫌われるよ」っていう言葉を思い出します。

 

 

 

2. 平成最後の夏と永遠の青春

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タオ島というタイの南の方にある小さな島ではダイビングがポピュラーで、日本語でライセンス取得ができるところがある。

 

そこで僕はタビイク参加者や、そうでなくても一人で来ている同年代の日本の人たちと数日一緒に過ごした。

(なんだか性と自己嫌悪みたいな少し重い話と抱き合わせにして語ることを申し訳なく思ったりもするのだけれど。)

その間はダイビング講習を受けたり一緒に飲みに行ったり、全部日本人の中で生活していたから、僕がブログに書いてきたような旅要素は少ない。

残念ながらジンベエザメはシーズン外で遭遇できなかったし、何かハプニング的なものがあったとすれば、耳抜きが下手くそで苦労したくらいのことだろうと思う。

しかし具体的なエピソード抜きでも、少しだけそこで僕が感じたことを文章にしておきたいと思う。

 

 

僕は大学院を休学しているから、本来なら就職をしている年であり、少なくとも僕の仲のいい何人かの友達や中学高校の同期はもう社会に出ていたりする。どんちゃん騒ぎの飲み会をすることも減ったし、他愛もなかった恋バナも、結婚を見据えるなどリアルな人生設計と結びつき始めた。将来のキャリアパスについてみんなして考え込み、社会問題について論じ合う。

それはそれで成長したということだと思うけれど、一方で僕らは自分の将来を考えるようになった分だけ、今を楽しむことが下手になったように思う。

 

 

タオ島で出会った彼ら彼女らは、ものすごく愉快で楽しい人たちだった。

僕は久しぶりに心からはしゃいだ気がする 。みんなで夜のビーチでビール飲んだり、船の上から飛び込んだり、魚群に興奮したり。

僕が普段内向的な人間であるからなおさら彼らの活気に魅了されたし、孤独な一人旅をしていたからなおさら誰かと一緒に過ごす楽しみを思い出した。

 

 

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僕はふと「あれ、俺そもそも大学入ってからこうやってちゃんと海来たの初めてかもな」と思った。

夕暮れどきのビーチを覆う南国の暖かな空気に身体を解きほぐし、爽やかな笑い声の響を聴く。

 

僕にとっての平成最後の夏。そこには素敵な青春があった。

そしてそれは、終わっていく時代とは裏腹に、自分次第で永遠に続くのだということを教えてくれた。

 

誰かが僕のことを呼んだ気がした。

 

 

 

 

 

 

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