【インド編完結⑨】デリー再び
僕の宗教はなんだろう。
僕の正義はなんだろう。
僕の「心のコンパス」はどこを指しているんだろう。
(インドエッセイ完結編)
《前回のあらすじ》
ジャイプルで同年代の旅人と出会い、旅に対して心を開ける旅人でありたいと強く感じた。
1.デリー再び
早朝の電車でジャイプルからデリーに向かった。
昼前にオールドデリー駅に着いた。
ニューデリー駅は僕が初めての詐欺に遭遇した場所で、オールドデリー駅はその少し北側、ハザンと一緒に歩き回った辺りにある。
ハザンに連れ沿ってもらわなければ歩けなかったような道も、もうぐんぐん進んでいけた。
リキシャーワーラーと値段交渉をするのもお手の物。
僕は初日のデリー観光の日に行けなかったニッザームディン・アウリアというイスラム教聖者の墓、ニッザームディン・アウリア廟に向かった。
インドでは様々な宗教が共生している。
ヒンドゥー、イスラム、仏教、キリスト教、シク教、ジャイナ教…。
宗教間における力関係や対立はあるようで、約8割を占めるヒンドゥー以外の信徒は肩身の狭い思いをしているのではないかと思う。
ここニッザームディン・アウリア廟の周囲にはイスラム教徒たちが生活する地区が迷路のように広がっていて、白いキャップをかぶったイスラム教徒で溢れている。
迷路に迷ったが、それ自体も楽しみつつ中心部の廟にたどり着いた。
廟の敷地内には靴を脱いで入る必要があった。プールサイド掃除のようにホースを使って一気に床を流している最中だったから、足がびしょ濡れになってしまった。
廟から出て、また迷路に入り、最初に入った入り口を探す。
途中道端でチャパティを焼いていた。
チャパティというのはナンの廉価版だと思って貰えばいい。ナンはインド人にとって少し贅沢品らしい。
ナンよりも生地が薄く、その分少しずっしりしている。
一見、フタに丸い穴の空いたクーラーボックスのような炉の内側に、鉄の棒を使って薄く伸ばした生地を器用に貼り付ける。
少し時間が経ったらまた棒を使って炉から剥がし、新聞の紙片に包んでくれる。
小麦粉由来の生地の甘さだけでも十分食べられる。
少し奇異な目をされたが、僕はカレー無しでチャパティとチャイだけを頼む。
黒焦げになったボコボコのやかんに柄杓のミニチュアのような器具でショットグラスくらいのお湯をいれて、お茶っ葉と大量の砂糖を投入する。強火にかけ少し煮立ったら、ツボにためてあった牛乳を入れて泡で膨れるまで再びグツグツ煮る。
そしたらそれをこれまたショットサイズの使い捨ての土の容器に30センチくらい上から綺麗に注ぎ入れて、チャイの完成だ。
2.心のコンパス
不意に店にいた中学生くらいの年の男の子が僕に話しかけてきて、人差し指を立て天井を指差した。
僕は天井を見上げたが、特に何もない。
首を傾げていると、彼はこう言った。
“Who is your god? Islam?”
周りに外国人観光客などいなかったから、わざわざイスラム地区に一人で来る日本人の信仰について知りたがるのも当然な気がした。
しかし困ってしまった。
無責任にイスラムだと伝えるわけにもいかない。
無宗教者だと伝えようとしたが伝わらない。
彼らにとっては、宗教がない人の存在など想定の範囲外なのだろう。
別の男がこう言う。
“Hindu?”
僕は慌ててNoと答えた。
インドではヒンドゥーとイスラムは仲が悪いらしいと聞いていた。
その時僕はどう答えるべきかわからなくて、結局仏教徒のようなものだとか言って、言葉が通じないのをいいことにうやむやにした。
宗教間の微妙な対立がある中、僕はどう答えるのが良かったのだろうか。
そもそも僕は本当に無宗教なのだろうか。
宗教とはなんだろう。
宗教なんて非科学的でナンセンスだと思っている人もいるかもしれない。
少なくとも僕は正直少しそう思っていた。
しかしインドで宗教や信仰心について考えさせられた今は宗教のことを、
「ただ存在すること」のみを目的としてプログラムされた人類が、生きる意味を見出すために「信じる」という行為を通して「心のコンパス」を持つこと
だと考えている。
だから、これほどまでに宗教は普及しているのではないだろうか。
確かに宗教には政治的な側面があったりもする。
しかしこれは宗教の本質ではない気がする。
「宗教」、それは何が正しいかわからない世の中において自分が正しいと思う方角を信じ込む行為であって、それはむしろ「正義」に近いものなのかもしれない。
僕の宗教はなんだろう。
僕の正義はなんだろう。
僕の「心のコンパス」はどこを指しているんだろう。
3.未知をタビする
僕はニューデリーのメトロ駅に戻ってきた。
そうだ約二週間前、僕の一歩目はここから始まったんだ。
〈なんで、インドなんか来ちゃったんだ、帰りたい…〉
初日にそう思っていた僕も、今ではインド独特の匂いにも慣れ、この様々な出会いに満ちた日々を名残惜しく思っていた。
「帰りたくないなあ」
そう思うようになっていた。
価値観変わるよ。
人生変わるよ。
そう言われるインド。
僕は〈ここではないどこか遠く〉を目指して、日本を抜け出しインドへ来た。
僕は〈ここではないどこか遠く〉へたどり着けたのだろうか。
インドは僕に多くの物事を経験させ、多くの物事を考えさせた。
でもインドや旅が僕の人生を変えたわけではないと思う。
もしも僕の人生を変えたものがあったとしたら、それは〈旅に出るという決意をしたこと〉そのものであったに違いない。
僕にとって〈タビ〉とは、未知の世界に突っ込んで悩みながらも前に進むことであり、狭義の〈旅〉には限らない。
1年間休学して前半半年の休学を終え残り半年で世界一周中という同い年の男の子とバラナシで会った。
ほとんど会話はしなかったけれど、そんな生き方アリかよと思った。
まだまだ僕にとって、世界は未知にあふれている。
彼のことを思い出しながら、自分への言い訳を辞めて、その未知をひたすらタビする一年があってもいいかなとふと思った。
ニューデリー鉄道駅に向かって頭を下げて呟く。
「ありがとうございました」
僕の頭はどうやらもう勝手にヨーロッパ旅の計画を練っているようだ。
口角が上がった。
なんだか生きている気がした。
完
《あとがき》
僕が休学を意識し始めたきっかけであるインド旅、どうだったでしょうか。
なんとなく、深夜特急の僕版を書いてみたくなりました。
それはきっと、どんな綺麗な風景写真よりも、旅先で考えた物事の方が時には貴重で大切なものである気がしたからだと思います。
どちらかというと僕の考えをハッキリ書いてしまった分、エッセイとしては未熟かなと思うけれど、まあそれも僕の味かなーと。
良かったら批評ください。
コメントでもこっそりメッセージでも。
というかそもそも気分で書き進めたから、同じことを言ってたり、考えが矛盾してるかもしれません。
タビっていいものですよ。
[一緒に旅したバッグ]
休学後の旅の記事↓
【ヨーロッパ縦断(エッセイ風ではありません)】
【東南アジア周遊(エッセイ風)】