【インド編⑧】ジャイプル
インドは世界3大ウザイ国などと言われる。
客引きはしつこいし、すぐ騙してくる。
しかし、本当にウザイのは一体どっち側の人間なのだろうか。
《前回のあらすじ》
タージマハルのある町アーグラで韓国人僧のチョイさんと出会い、僕は初めて自分の「人種」について意識するようになった。
1.ボロボロのバスに乗って最後の町へ
バラナシで予定を早めたおかげで、当初予定していなかった砂漠の国ラージャスターン州の州都ジャイプルへ行く時間ができた。
バスは今にも壊れそうだった。
どうやったらそうなるのかわからないほどボディはボコボコで塗装は剥げまくっている。
全体が砂にまみれ、窓は完全には閉まらない。
座席にはシミがついていて、前の座席についているペットボトルホルダーは取れかかっている。
途中でエンストしても全く驚かないであろう汚さだ。
バスは市街を離れ、次第に車窓からは荒野が広がるようになった。
僕の初めてのバックパッカー旅ももう終わりかけている。
人生観が変わると言われるインド。
そこで僕は一体なにを得たのだろうか。
遠くに立派な城壁の影が見えた。
ジャイプルが近づくにつれ、空気が砂っぽくなっていく。
到着は夕方の予定だ。
バスは高架で高速道路が架かっている幹線道路沿いのバスターミナルに到着した。
日はもうすっかり暮れていた。
僕は親日のオーナーが経営している、とあるゲストハウスへ向かって歩いた。
とても親切なオーナーと生まれたての子パグたちが僕を迎えてくれた。
日本人に人気と聞いていたが、僕のドミトリー部屋には日本人はおろか宿泊客は僕しかいなかった。
2.同年代の日本人が2人
荷ほどきをしていると、廊下が騒がしくなったことに気づいた。
僕と同年齢くらいの日本人の男の子2人が廊下でパグの写真を撮っていた。
僕はドミトリーにたった1人だったから、新しい客の来訪を喜んだ。
しかしどうやら、彼らは宿泊客ではないらしい。
「ここのパグが可愛いって聞いてきたんで!」
彼らは宿泊していないにも関わらず、パグの写真だけ撮りに来たという。
彼らは宿のオーナーに
"Take Photo, OK?"
と尋ねていたが、そのOKには許可や同意を求めているニュアンスは含まれていない。
海外の市場などで時々見かける、過剰な値引き交渉を押し付ける観光客が言うそのニュアンスであった。
宿のオーナーは明らかに困惑していた。
彼らは写真を撮り終わると、宿のオーナーに「夕食を食べられる?」と聞いた。
この宿は屋上が共有スペースになっていて、お金を払えば夕食を食べられるようになっていた。
僕はとりあえず成り行きで彼らと一緒にご飯を食べることにした。
3.真の世界3大ウザイ国はどこだ
彼ら2人は、一緒にインドに来たわけではなく、ジャイプルで偶然会った者同士だという。
1人は僕より1つ年下で、もう1人は同い年だった。
これから僕が行うのは、卑劣な誹謗中傷であり、僕自身の幼さの露呈である。しかし、僕はこのエピソードを書かないではいられない。
同い年の彼は僕にひたすらマウントを取りに来た。今までに行ってきた国の数はもう数えきれないとか、旅の真の醍醐味についてとか。親が某大企業に勤めていて、裕福な家庭であることも自慢のようだ。
少し彼の発言を取り上げる。
その1「こないだ『夜と霧』を読んだんだけど。俺はいつでも死んでいいと思っていて、でも俺が死んだら回りが悲しむじゃん?だから死なないのよ」
その2「君大学どこ?」
僕はこの発言を受けて学歴パンチを食らわせてやりたいと思った。そう思ったのは僕の人生で、後にも先にも、このとききりだった。
「あ、そうなんだ、あー…でも東大生って変な奴が多いよね」
どうやら彼は、僕を「変な奴」扱いすることによって論点をずらし、「正常な自分」としてマウントを取り続けたいようだった。
ただ単に彼の悪口を言いたかったわけでない。
何が言いたかったかというと、僕に対する彼の態度同様に、彼の宿のオーナーに対する横柄な態度の根底には、自分の方が優れているという自信が存在しているようだった。
そのあと3人で少し町歩きをすることにしたが、彼の現地に対する横柄な態度は変わらなかった。
僕は宿の門限を口実にして、早々に彼らと別れた。
インドは世界3大ウザイ国などと言われる。
客引きはしつこいし、すぐ騙してくる。
しかし、本当にウザイのは一体どっち側の人間なのだろうか。
4.風景にとって旅人は永遠に外部
翌朝、宿のオーナーは彼ら二人について愚痴をこぼした。
僕は同じ日本人として申し訳なく思った。
それなりに旅をしてきて、最近思うのは、旅人には2種類存在するということである。
旅に対して心を開くことによって前に進むか、あるいは旅に対して心を閉ざすことによって前に進むかの2種類である。
僕は当初、ハプニングがつきものの一人旅の前では、人間は寛容にならざるを得ないだろうと思っていた。
しかしどうやら、自分の我を異国の地で無理やり突き通すことによっても十分旅をすることは可能なようである。
旅人は決して現地に完全に溶け込むことはできない。
どれだけ現地の人たちと同じ行動をしても、その風景の内部に潜り込むことはできない。
旅をしている限り、自分はその国にとって過ぎ去っていくものであり、永遠に外部でしかないのである。
そこには一抹のもどかしさが常に付きまとう。
仮にそれが観光で生きている町であったとしても、そこにはそこで暮らす人がいて、その町のロジックがある。
僕は、外部の人間にはそのロジックに従おうと試みる義務があるように思う。
なぜならそのロジックこそが、現地の人々にとって大切な生活の軸であるからだ。
「郷に入れば郷に従え」とは、郷に従った方が得するよ、という意味ではなく、郷に従わなければならない、という意味合いではないだろうか。
たとえその町のロジックを間違っていると思ったとしても、それを尊重し、自分の価値観を押し付けてはならない。
あるいは、このような批判を正面から受け入れ、それでもそのロジックを否定するという強い覚悟と正義感がなくてはならない。
たとえばわかりやすい例でいえば、その国の文化に由来する男女格差や階級差別というロジックを否定するには、当然それなりの覚悟と正義感が必要になるということだ。
自分の中のロジックの形成過程を棚に置いておいて、他のロジックを否定することは、仮に間違ったことではなくとも生半可な覚悟と正義感では達成できない。
旅において得られるものはたくさんある。
だから僕にとって旅をしないわけにはいかない。
ただ、僕は僕の中の強い正義感を軸に心を開いて前へ進むタイプの旅人なのか、それとも心を閉ざすことで前へ進む旅人なのか。
真の自信とは、確固たる自分の中の正義感に他ならない。
それは決して自分の方が他人より優れているという類のものではないのである。
そして、これらはもしかしたら「旅」を「人生」に置き換えても成り立つのかもしれない。
《あとがき》
全く本当に未熟者です。
ただ、僕にとっては一つの大切な経験で書かずにはいられませんでした。
個人は特定されないようにしたつもりなのですが…
ボロボロのバスの中で僕は思います。
人生観が変わると言われるインド。
そこで僕は一体なにを得たのだろうか。
次回でインド編完結です。
そのあたりについて、自分ともう少し向き合ってできるだけ言語化するつもりです。
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