悩める東大生の休学タビ記録

人生に悩んだ東大生が、休学して世界中を旅した経験を綴ったエッセイブログ。

【インド編⑦】アーグラ

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これから話すのはタージマハルの美しさについて、ではなく、僕が自分の人種について意識したエピソードである。

 

 

 

 

《前回のあらすじ》

殺される、そう感じた体験をしたことで、僕は逃げるようにカジュラホを去りタージマハルのある町アーグラへ向かった。

しかしこの経験を通じて僕は以前よりも自分のしたいことに素直になれるようになった気がした。

spinningtop.hatenablog.com

 


 

 

 

 

1.アーグラ

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僕はデリーから新幹線(のような電車)で3時間弱くらいのところにあるアーグラというタージマハルのある街に来ていた。

地図を見てもらうとわかるが、デリーやアーグラはインドの西の方にあり、バラナシやカジュラホは東の方にあるから、もう大分戻ってきたことになる。

 

 

タージマハルはとても美しかった。

観光客料金になっている入場料はとても高いが、一見の価値はある。

しかし、一方で、タージマハルの美しさは僕の心を打たなかった。

 


少し慣れた旅びとは、総じて観光地に〈飽きて〉いく。

お金がかかったり、観光客が多くて辟易してしまうというのも理由だが、多くの場合は観光地だけでなく日常の生活の中に得られるものが多いということを実感していくからである。

 


だから僕の場合も言い換えるなら、観光地に〈飽きてきた〉ということなのだろう。

インドの日常生活は何よりも波乱に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

2.韓国僧チョイさん(仮)

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アーグラは観光客スレしているかと思いきや、意外に居心地が良かったというのが僕の印象である。

サニヤパレスホテルのスタッフ、宝石店のおっちゃん、安食堂トリートの親子。

タージマハルなどを少し観光した以外は、僕は彼らとずっとおしゃべりして過ごした。

 


しかしこれから話すのはインド人との出会いではなく、韓国人僧侶との出会いである。

 

 

 


夜になって、僕が行きつけのトリートでご飯を済ませて宿に帰ってくると、狭いフロント前のロビーに1人の韓国人僧侶がいた。


彼の名前はチョイさん(仮)

タンクトップの上からオレンジ色の僧侶服を羽織っており、荷物は風呂敷にまとめたものをタライにいれてタライごと持ち歩いていた。

年齢は40歳くらいで、頭は坊主で眼鏡をかけている。

体格は中肉中背といったところだろう。

インドの寺院巡りをしているそうだ。

 


そして問題は、彼がパスポートをバラナシのサールナートという地にあるお寺に置いてきてしまったために、ホテルに泊まることができないということだった。

 


だから、このロビーで朝まで待つつもりらしい。

しかし、当然だがホテルのスタッフはダメだという。

 


チョイさんは英語がほとんど喋れなかった。

このホテルには韓国人はおろか、インド人を除くアジア人を含めても僕しか泊まっていなかった。

僕は自分が助けてあげなきゃいけないという気になった。

 

代わりに韓国大使館の電話番号を調べてみたり、政府運営のホテルらしきところに一緒に夜道を歩いて行って僕が代わりに事情を説明してみたがどれもダメだった。

そもそもすでに夜の23:00だった。

 


本人はバラナシまでパスポートを取りに帰るという。

僕は電車の時刻を調べた。

最終列車の時間にはほぼ間に合わないが、インドなら電車の遅れはザラだから間に合う可能性は十分だと思った。

また、仮に間に合わなくても、アーグラなどの大きい駅には電車待ちをする人用の有料部屋がある。


通りのトゥクトゥクと交渉をして、僕はチョイさんを駅へ送り出した。


彼は別れ際に、僕の住所を訪ねた。

もし無事に韓国に帰ることができたら、日本の僕までお礼の手紙を書くから、と。

 

 

 

 


3.人種に対する誇り

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[通い詰めたトリート]


結局僕は大したことはできなかった。

でも「僕が助けてあげなきゃいけない気になった」という感情はもう少し詳しく説明すると、「隣国に住む日本人として彼のことを助けなければいけない」という想いに他ならなかった。

 


この時、僕は初めて自分の人種を意識した。

多くの文化を共有し近い出自を持つ東アジア人として、チョイさんに親近感を覚えたのである。

それはインドというアジアの中でもまた少し違った環境においては、特に強いものであった。

 


僕はこのチョイさんの一件以来、元々似た文化や価値体系で生きてきたはずの東アジア人の間に嫌韓反日と言った言葉が聞かれるたび、家族喧嘩を憂うような気持ちに襲われるようになった。

 


戦争という悲劇が深い傷を世界各地に残したのは確かだ。

しかし次世代を築く我々に必要なのは、その傷を背負いながらも良好な関係を模索しようとする態度であるのも確かであるはずだ。


そして国を超えて人種に誇りを感じるというのはその一助になるのではないだろうか。

 

 

 

 

4.グローバル社会の中で人種を考える

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[サニヤパレス屋上からタージマハルを望む]


こう言うと、では他人種間はどうなんですか?人種を誇ることは人種差別につながりませんか?と思う人もいるかもしれない。


そもそも僕の人種に対する誇りは「地元同じ人には親近感が湧く」程度の話なのであるが、あえてもう一歩踏み込んでみようと思う。

 

 

僕は「人類みんな一緒」という考え方には違和感がある。

「人類みんな違うけど、それを尊重し合おう」という態度こそが真の他者理解であると考える。

自分を誇れるから、相手が自身を誇る気持ちも尊重できる。

だから僕は差別よりもむしろ尊重に繋がる、少なくとも繋がるべきであると考える。

 

 

 

本来「同じ人種として親近感を感じる」というフレーズの中には「他人種に嫌悪感を感じる」という意味合いは含まれない。

〈誇り〉は純粋な自己肯定を意味し、他者否定は含まない。

であるとすれば、自分が誇る人種の内側に対しても外側に対しても何一つ悪いことはないのであって、何かを誇ること自体には本来危険性はないと考える。

 

 

 

おそらく本当に重要なことは、その人種の内側に対しても外側に対しても自分の価値観を押し付けてはならないことを理解し、他者の誇りを尊重、理解していこうとする態度なのではないだろうか。

 

 

 

 

《あとがき》

正直なところ自分の中でも言語化しきれなかったし、考え方が未熟な部分があると思います。

もしかしたら危ないことを言っているかもしれません。

でも僕の考えが危ないかどうかは、勇気を持って表に出してみないとわからないという気もするのです。

(愛ある)批判をお願いします。

 

言語化しきれなかった分、文の構造もイマイチでもどかしい!!!悔しい!!

 

なお、チョイさんからは9ヶ月経った今もハガキは届いていません。

 

     

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