悩める東大生の休学タビ記録

人生に悩んだ東大生が、休学して世界中を旅した経験を綴ったエッセイブログ。

【さよならのHappy Birthday】番外エッセイ

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 僕にとってこの旅は、他の旅とは少し違う意味合いを持っていた。他の旅のコンセプトが「未知との遭遇」だとすれば、この旅のコンセプトは「過去との再会」だった。

 

 

 

 

 1. 22と23の間で。

曇り空に向かってスケッチブックを掲げた。黒い極太のマジックペンで地名が書いてあった。

 

 

去年の休学中、僕は日本と海外を行ったり来たりしていた。日本にいる間は大抵家に籠もって本を読んでいた。山梨のゲストハウスに籠もって本を読んでいたこともある。

 

ただし、ひと月だけ旅に出ていた。その旅のテーマはずばり、「ヒッチハイク西日本縦断」。そこにももちろん、海外旅と肩を並べるくらいの(僕にとっては)面白いエピソードがあった。

寝袋とスケッチブック。それと数冊の文庫本を携えて、僕は名古屋から鹿児島に向かって親指を突き立てたのだった。それはちょうど去年の今頃、徐々に気温が下がり、人肌恋しくなり始める10月のことだった。

 

僕にとってこの旅は、他の旅とは少し違う意味合いを持っていた。他の旅のコンセプトが「未知との遭遇」だとすれば、この旅のコンセプトは「過去との再会」だった。テーマとコンセプトの語義的な差異は何か? そんなの僕は知らない。全くの専門外だ。外来語の専門家にでも訊いて欲しい。その専門家は、企業のホームページでよく見る、ビジョンとミッションの違いについてもきっと詳しいに違いない。

 

話を戻すと、僕はヒッチハイクをしながら、過去に海外で出会った旅人、大学から地方に出た知り合い、昔住んでいた場所を訪ねて行った。だからエピソードの一つ一つに、僕の過去が絡んでいた。別の言い方をすれば、それを語ることは、都内在住22歳男性のごくありふれた人生ストーリーを詳細に語ることである。だから僕はこの旅についてはエッセイを書ける気がしない。そんなのは居酒屋で友達と話せばいいんだ。

でも一方で、そのうちの断片的ないくつかのエピソードは、文章にしておく必要があるようにも思う。僕自身の心の整理のために。

 

そう。僕は22歳だったのだ。22歳というのは境界の年齢だ。22歳です、と言えば、まだギリギリ大学生かな?ということになる。もちろん22歳だって21歳だって16歳だって、もう働いている可能性はある。23歳だって、浪人生ということもあれば、留年・編入の可能性もある。しかしいずれにせよ、23歳になれば、それまで社会が丁寧に敷いてくれていた学歴レールを既に終了しているか、あるいは途中で寄り道をしたということになる。それはつまり、学生という免罪符を使うには、少々説明責任が生じる場合が出てくるということだ。

 

そしてこれは、僕が23歳になるイニシエーションの話だ。

 

 

2. 脱走

2018年10月22日。僕は福岡の博多にいた。僕が幼稚園児の時に暮らしていた一帯を歩いて回った。13年ぶりだった。当時住んでいたマンションの前には、大通りが走っていた。はずだったが、今見ると、その通りは車2台がすれ違えるだけのなんでもない通りだった。

 

通っていた幼稚園の前を通ると、園児たちが合唱をしているのが聴こえた。一人だけ、圧倒的に音痴な奴がいた。でも威勢の良い声だった。

その幼稚園はキリスト教系の幼稚園で、ことあるごとにお祈りをさせられた。多分当時の僕にはお祈りと「いただきます」の違いもわかっていなかった。意味もわからないまま、毎年毎年馬小屋で生まれるイエスの劇をやらされた。やたらと僕にちゅーをしたがる女の子がいた。その子が僕に狙いを定めると、周りの男子たちは僕のことを羽交い締めにして、女の子にちゅーさせようとした。今思えば、僕の初恋の人は、そこで放課後保育を受け持っていた若い女の先生だった。放課後保育で出されるバームロールというお菓子が好きだった。

 

たしか年長だった頃、友達と大喧嘩をした。僕は自分に悪いところなど一つもないと思った。ある先生が仲介に入った。先生は喧嘩両成敗にしようとした。でも僕は、なぜ何も悪いことをしていない僕も一緒に悪者にされてしまうのだろうと思って反抗した。それに対して、先生は「文句があるなら出て行きなさい」とかそんなことを言ったのだと思う。僕はその言葉に腹が立って、本当に幼稚園を脱走して家に帰った。

大きくなってから両親に聞くところによると、それは大人の間でちょっとした問題になった。確かに、脱走した幼稚園児が通りを走っていたら、親じゃなくても心配になる。

 

その時の脱走ルートに沿って歩いた。数メートル先を走る小さな僕の面影に向かって、「お前はそのままでいいよ。周りが正しくないと思うなら、そのまま走れ。」と呟いた。17年後の僕は、世界を股にかけて、走っていた。本当の幸せを求めて、走っていた。

 

 

3. さよならのHappy Birthday

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2018年10月23日。

曇り空に向かってスケッチブックを掲げた。黒い極太のマジックペンで地名が書いてあった。次の目的地は長崎だった。結果からいうと、その日ヒッチハイクは失敗した。だいぶコツが掴めてきたはずだったが、一日かけて一台も止まってくれなかった。僕は諦めて長崎まで長距離バスに乗ることにした。その日はどうしても惨めな気持ちになりたくなかった。延泊などせずに先に進みたかった。

 

 

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長崎に着く。バスに乗っている間に雨が降った。長崎駅前でバスを降りる時にはちょうど雨は止んだところだった。もうあたりはすっかり暗くなっていた。僕は手近なインターネットカフェに入った。

 

インターネットカフェは多くの場合会員登録が必要だった。そしてここも例外ではなかった。登録用紙に名前を書き、生年月日を書いた。1995年10月24日。店員さんに気づかれなければいいが、と思い、ハラハラしながら用紙を提出した。今日は10月23日であり、翌日は10月24日だった。

 

 

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仕切りで小さく切り取られた自分のブースに、僕はいつものように寝袋を敷いた。眠るにはまだ早く、僕は適当な漫画を読んだ。多分「約束のネバーランド」か「亜人」か、あるいは「おやすみプンプン」だったと思う。いずれにしても、今日読んで気持ちのいい漫画ではなかった。

 

23:30ごろになって、僕は結局外出することにした。ニコンの一眼カメラと財布だけを持って、フロントで外出の手続きをした。路面電車の走る通りを南に歩き、出島の前を通り過ぎた。表門橋前の広場は、たしか研究室のOBが立ち上げた設計事務所の仕事だった。しかしそのどれもが、僕の頭のどこにも引っかからないまま、ただ通り過ぎて行った。

 

近くのローソンに入って、ほろよいの白いサワーを買い、長崎水辺の森公園に入った。お洒落にライトアップされた石造りの空間や、雨を吸ってくちゃっとした芝生を通りぬけ、僕は海沿いに出た。舟が二隻停泊していた。あたりには一切人気(ひとけ)がなかった。夜は、少し靄のかかった静謐な空気に満ちていた。

 

長崎湾の向こう側にはうっすらと濃藍色の山影が見えた。その斜面には無数の光が散りばめられている。足元のタイルには、ところどころ水が溜まっていて、そんな夜の光を反射している。僕はほろよいの缶を地面に置くと、その上にカメラを置いて三脚代わりにした。レリーズを持っていなかったから、セルフタイマーを設定した。

 

僕は今までのことを考えた。自分の過去について。終わってしまった多くの物事について。僕の青春は22歳で一区切りついたのだ。そんな気がした。これからしばらく青春的な時間が続くとしても、それはこれまでの延長ではあり得ない気がした。

長崎。白いサワー。カメラ。

シャッターを切った。タイマーの残り秒数を示す赤いランプが点滅し始めた。

 

さようなら、22歳。

 

カシャッ。

カメラのシャッター音が鳴り響く。

 

 

 

 

あとがき

 

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新しく来るものよりも、過ぎ去っていくものに目が行ってしまうのは、危険サインかもしれません。後ろ向き注意報。

でも、表面的に、対症療法的に、「ポジティブに行こーぜ!」と言う人のことを僕はイマイチ信頼できません。きっと僕みたいな人は、過去と共に生き続けることを覚悟し、それとうまくやっていく方法を不器用にでも身につけて行かなくてはいけないのだと思います。

 

ところで、個人的には、記念日や祝日の当日よりも、その前日や後日の方がよっぽどエモーショナルな気がします。前にクリスマスの次の日についての物語を書いたことがあります。12月26日。実はちゃんとした名前があります。ボクシングデー、と言うそうですよ。

 

今日24になりました。

さようなら、23歳。

 

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