悩める東大生の休学タビ記録

就活に悩んだ東大生が、やりたいことをみつけ、休学し海外で一人旅をする。そんな旅の記録。

遠回りの意義

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2018年が終わりに近づいた、この一年の振り返りのタイミングで、ここまでの休学旅ライフで思ったことも少しだけまとめます。

 

 

 

突然ですが、ヘミングウェイの『日はまた昇る』から引用します。

(個人的には、原文の方がもうちょっとだけ微妙なニュアンスを含んでいる気がします。)

 

“You can’t get away from yourself by moving from one place to another.”

訳:ある場所から別の場所に移動したって、自分自身から逃れられるわけじゃない。(高見浩訳)

 

小説の文脈からすると、旅行に行きたがる友人を諌めている台詞ですが、一方でこの言葉は、この言葉を発した主人公ジェイク(ヘミングウェイ自身がモデル)自身が自らの経験の中から紡ぎ出したもののように思えます。

そう思うのは、僕自身が少し旅の経験を積んだ結果、「いくら旅をしても自分の根っこの部分は変わらないんだな」と痛切に感じるようになったからです。

 

しかしだからといって、僕にとっての『ある場所から別の場所への移動』である休学や旅が、ジェイクがそのあと言うように『何の役にも立たない』ものなのかと問われれば「うーん、それはどうだろう」と思わざるをえません。自分自身から逃げることが目的ならば『役に立たない』かもしれませんが、逆に自分自身と向き合うこと自体が目的ならば大いに役に立つと思うからです。

それは宝石のカッティングみたいなものです。ある側面からカットしたら、角度を変えてまたカットする。そうして自分自身の本質を少しずつ浮かび上がらせるわけです。

 

わざわざコストを払い、場所を移動して角度を変えなくたって、自分と向き合うことはできるかもしれないけれど、そこはまあ、遠回りした人には遠回りした人にしか見えない景色があるだろうと僕は思っています。

 

少し話を脱線します。

休学した理由(の一つ)を後付けで説明するならば、まず、僕は普段の生活が遠回りを許してくれないように思われることがあって、そこには常に何か目的を、特に経済的価値に結びついた目的を、要求されているような息苦しさを感じていました。だからあえて遠回りしてやろう、最短距離しか進まない生き方には決して見えない景色を見てきてやろうと、一種反抗心のようなものを抱いたのだと思います。

まあ、そこに反抗心を抱けるのってかなり恵まれたことですよね。抱くだけではなくて、僕の場合はそれを実行できる環境にいたわけですから、相当恵まれています。いくつかの途上国で現地の人たちと会話していて、それはしみじみ感じました。日常への感謝。

 

話を戻します。あと少しだけ踏み込みます。この踏み込みはもしかしたら蛇足かもしれませんが。

そんなわけで、そもそも遠回りすることそのものが目的になっているので、遠回り自体に意義を見出すことは必要じゃないのですが、実際に遠回りをしてみて気づいた、遠回りの意義を3つ挙げてお終いにします。

  1. 先述のとおり、多角的に自分を見ることができる。やっぱり人間って自分がいる集団の傾向に影響されがちだと思うので、そこから一旦離れると、自分の新たな可能性に気づける気がします。
  2. 単純に楽しい。旅楽しいです。辛いことも結構あるけど。
  3. 少しだけ他人に優しくなれる(気がする)。現状に息苦しさを抱える人間の辛さが、少しだけ理解できるようになって、優しくなれる気がします。旅の場合は、いろんな生活水準といろんな価値観で生きる人々との対話を通じて、異質なものと積極的に折り合いをつけようとする態度が身につくのも無関係ではないと思います。それが消極的な譲歩ではない点が重要かもしれません(一歩間違うと危ないんだけど)。

 

ここまでの文章を一文でまとめます。

遠回りも中々悪くない。

 

 

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