【インド編④】バラナシ
1人のヒンドゥー教徒があぐらを組んでじっと太陽の出てくるあたりを見つめている。
靄の中から真っ赤で大きな太陽が少しずつ顔を出した。
何かが僕の芯に触れ、目の裏が熱くなった。
《前回のあらすじ》
20:40に出発するはずの列車がホームに到着したのは翌朝4:30すぎ。そして18時間以上かけ、僕は旅の目的地「バラナシ」へと到着した。
1.旅の目的と火葬場
僕がバラナシに来た目的をおさらいしておきたい。
〈火葬場を見ることによって、生死に関するなんらかの考えを得ること〉
元はと言えば、パリで出会った年下のバックパッカーの子がネパールの火葬場を〈美しい〉と感じたと言っていたことが、心に引っかかっていたのがきっかけだ。
インドのバラナシ。
もしかしたら知らない人もいるかもしれない。
中学高校の歴史、あるいは地理の教科書でヒンドゥー教の聖地として沐浴(川に入って身を清める)をしている信徒たちの写真を見たことが無いだろうか。
それがバラナシだ。
ではなぜ火葬場が有名なのか。
ヒンドゥー教では輪廻転生が信じられている。
しかし一方で、輪廻転生、すなわち現世で生きることは苦しみでもあるのだ。
自分が死んだら遺灰を聖なる川ガンジスに流されることによって、輪廻転生のサイクルから抜け出すことができる。
だから敬虔なヒンドゥー教徒は自分の死期が近づくと、家族を置いてバラナシまできて「死を待つ人の家」と呼ばれる場所で生活し、文字通り死を待つ。
死ねば、川沿いに用意された木組みの火葬場で焼かれ、遺灰はガンジス川に流される。
この木組みというのが外から見て露わであり、遺体には布がかけられているものの、何かの拍子に布がめくれると人が焼かれていく過程がすぐ目の前に表れる。
ただし若いうちに病気や事故で亡くなる等すると、遺体は焼かれずに重りをくくりつけられて川の真ん中に沈められるそうで、時折重りが外れてしまった遺体が川を流れて行く様子が観測されることになる。
バラナシで行われる沐浴というのは遺灰が流れ死体が沈み、工場排水等による汚染が進んだガンジスで行われる行為である。
2.インド人タカシ
眼前には広大なガンジス川が広がっていた。
翌朝僕はストップスホステルから一人ガンジス川へと歩いた。
バラナシには84個のガートと呼ばれるものがある。
ガートというのは陸から川に入れる階段のことで、このうちの2つのガートが火葬場になっている。
僕は最南端のガートに到達し、そしてガンジス川と対面した。
遠くの方に木の枝に絡まって遺体が流れているのを見つけた。
「ナガサワマサミ カッタ ジャブジャブジュボン 150ルピーネ」としつこい客引き、日本人に興味津々ですぐに周りを囲んでくる無邪気な子供達、「マリワナ?ハッパ?」と声をかけてくる怪しい男たち。
階段に腰掛け、時に彼らの相手をし、時に無視をしながら、僕はただひたすらに川の流れを見つめていた。
腰を上げて川沿いを歩いた。
その時だった、彼と会ったのは。
「お兄さん、どこいくの?」
甲高い声の持ち主が、完璧なアクセントの日本語で僕に話しかけてきた。
僕は最初無視したが、どこまでもついてくる。
「お金は払わないよ」
「いらないよ、ただ日本人と話したいんだ」
彼の流暢な日本語が、少し相手をしてもいいかなという気にさせた。
彼の名前はタカシ。
以前日本人観光客から与えられたアダ名らしい。
27歳ブッダガヤ生まれ、現在バラナシでホームレス。
身長は150センチほどの小柄で肌は黒く、目がギョロっとして、ボクサーだかなんだかが描かれているTシャツとチャチな銀色のネックレスをしている。
僕とタカシは次第に打ち解け、色々な場所へ連れて行ってもらい、そしてハリシュチャンドラガートという火葬場に行った。
3.タカシとバラナシ、信仰心と敬意
足の部分にかかっていた布がめくれている遺体があった。
僕は不思議な時間の流れの中に入って行き、そして視界が狭くなった。
赤くなった足は次第に水分を失い、皮膚が縮れていく。
そうして次は全体的に黒くなっていき、周りの薪と同化し始め、ほとんど遺体と薪の区別がつかなくなった。
最後に炭化した遺体は白くなって灰になっていく。
ショッキングな光景であるはずにもかかわらず、この場において生死について何かしらの考えを得ることが目的にも関わらず、僕の感想を率直に言えば、不自然なまでに何も感じなかった。
その時僕はタカシの様子について気を配っていなかったが、その後もう一つの火葬場マニカルニカーガートの前を通った時に気づいた。
タカシは火葬場から目をそらし、背を向け目を閉じて祈っていた。
僕は「どうした?」と聞いた。
彼はこう言った。
火葬場が好きなインド人なんていない。
火葬場を眺めているインド人は皆遺族であり、面白がってみるのは観光客だけだ、と。
火葬場の周りにはたくさんのインド人と、奇異なものを見る目をしたたくさんの観光客がいる。
観光客の中には撮影禁止だと言われているにもかかわらず、火葬場を、人が焼かれている現場を盗み撮ろうとする者もいる。
僕はどちら側の人間なのだろうか。
つまり、故人の死を悼みながらも、宗教的な信仰心でそれを見送るインド人側なのか。
それとも物珍しいものを楽しむ観光客の側なのか。
明らかに僕は後者であった。
人が焼かれ皮膚の色が変わっていくその過程すら、ヒンドゥー教徒でも遺族でもない僕にとって、本質的にはただ物理的な景色に過ぎなかった。
僕はその土地とそこに住む人々、そしてそれらからなる風景に対する敬意を持たない自分を心から恥じた。
自分も沐浴をしてみれば、何か感じるかもしれない。そう思っていたし、そこには何かしらの場の力があることは間違い無いと思うから、もし行く機会がある人はやってみればいいと思う。
(ただし汚染具合はひどいため健康を害する可能性は高く、自己責任でやってほしい)
でも、その時に冷めてしまった僕は、沐浴はやめよう、そして予定を変更してでもこの街を早く去らなければならない、という思いに駆られた。
4.まるで三途の川を渡って来いと言わんばかりに
[ボートの上から眺める早朝のバラナシ ]
翌朝5時に起きて、ガンジスのほとりで日の出を待った。
昼夜の喧騒からは想像もできないくらいの静けさは、音よりもむしろその場に流れる聖的な雰囲気のせいなのかもしれない。
バラナシの対岸には不浄の地と呼ばれる砂浜が広がっている。
観光客を乗せた手漕ぎボートが点々とするガンジスは三途の川のように見え、さらにその川越に見る朝靄がかかった対岸はあの世を感じさせた。
1人のヒンドゥー教徒があぐらを組んでじっと太陽の出てくるあたりを見つめている。
靄の中から真っ赤で大きな太陽が少しずつ顔を出した。
何かが僕の芯に触れ、目の裏が熱くなった。
バラナシは観光地化しすぎて、ヒンドゥー教の本当の聖地は北部のリシュケシュという場所に移っているという話も聞いた。
しかし、この風景はこの世のものとは思えない美しさをはらみ、バラナシが聖地と呼ばれる所以がよくわかったような気がした。
インドはヨーロッパや東南アジアの国と比べると危険度が高いが、もし機会があればこの風景は一度生で見てほしい。
その翌日の夜、変更した宿で会った1つ年下の都内の大学生の男の子に見送られながら僕はバラナシを去った。
毎日一緒に行動していたタカシには最後には会えなかった。
タカシが本当にいい奴だったのか、それとも何か企んでいたのかはわからない。
ただ、僕は彼のおかげで何か大切なものを思い出した気がするし、結局彼は1円もお金を請求しなかった。
「じゃあ、またなタカシ」
僕はバラナシの町に向かって一人つぶやき、リキシャーに乗り込んだ。
あとがきと写真
タイの洞窟に少年たちが閉じ込められた時、僕はちょうどその町チェンライにいました。
また土木工学専攻の端くれとしては、西日本豪雨の情報をこちらで聞くことにもどかしい無力さを感じながらも、旅を続けています。
さて、ズバッといってしまえば、僕はバラナシで生死について悟るつもりでいたのにもかかわらず、不自然なまでに何も感じなかった。
しかし、風景に対する敬意の大切さを教えられ、前に進まなければならないという思いを与えてくれたバラナシはやはり僕の中で重要な場所になりました。
他にもいろんなエピソードがあったのですが長すぎるので割愛しました。
タカシは今頃どうしているだろう。
[ラッシー。左はタカシの手]
[不浄の土地にはラクダ]
[サールナート]
[びくびくしながらチャレンジしたチャイ]
[道狭いのに牛]
[毎晩行われるプージャという儀式]
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