眼球使用困難症
最近落ち込んだことがありました。
12月です。友人から電話がかかってきました。
結論から言うと、その友人は難病になり目が見えなくなったとのことです。
あとで補足説明しますが、全然読まなくても構いません。
一つ言いたいことは、「彼が病気に関してYoutubeを始めたので、よかったら見てください」です。
彼と出会ったのは、2019年の3月。あのウユニ塩湖でした。正確には、近くの町の安ホテル。
彼はたしか、アロハシャツでビーサンで、髪が長く、1人でした。
日本人にしては珍しく、ヒッピーっぽい風貌の人だなあと思った。正直苦手だと思った。
日本人にしては珍しく、綺麗なアクセントの英語を喋っていた。面白そうだなと思った。
(ヒッピーぽさは未だにある笑)
友人と言っても、実際に会ったのはその一回でした。
でも世界の片隅で、お互い孤独同士で日本人に会うと自然意気投合します。
また、お盆でも正月でもGWでもない平日に海外でふらふらしている人は、まともではありません。お互いに。
そして、そうした「まともでなさ」の波長が合う人とは、一気に話が深まるのです(これも僕あるある)。
彼は僕にとって、そういう人でした。
コロナが蔓延し、旅人たちはほとんど日本に帰ってきました。
日本に帰ってきてるから再会できる…わけもありません。
12月に彼から電話がかかってきた時、ウユニ以来ほぼ2年ぶりでした。
そこで聞かされたのが、この1年で「眼球使用困難症」にかかり目が見えなくなったと言うことです。
動画でも語っていますが、彼は相当精神的にまいっていたようでした。
そのほんの1年前まで、世界一の絶景と言えるような場所にいたのに、今では目から光を失い死を意識している。
僕も昨年はコロナと修論に追われ、それはそれで大変なつもりだったけれど、彼は別のものともっと深刻に闘っていた。
その差に、僕は落ち込みました。彼に比べれば、落ち込む権利など無いのに。
電話した時、彼は既に精神的にひと山越え、どうやったら自分の残されたリソースで、他人に貢献できるかを考えていました。
そうすることで、彼はなお人生に生きる意味を見出そうとしていました。
Youtubeで自分のことについて公表するというのも、そうした彼なりの他者貢献の一つです。
僕と彼に共通している「まともでなさ」の正体は、人生に対する一種の不器用さなのだと思います。
未熟ゆえに他人から「大人になれ」と言われることもしばしばあるけれど、そんな「大人」なんかになってたまるかと反発する不器用さ。
なかなか自分の気持ちに素直になれない不器用さ。
彼は、自分の病気を、不自然にすら感じられる持ち前のポジティブさで跳ね飛ばし、お前らも俺についてこい、と言っているように一見見える。
でもその実、彼が共有しようとしているのは、そうした内なる不器用さになんとか向き合っていこうとする等身大の人間の姿なのではないかと思います。
同じような不器用さを持つ人に、届くことを願って。