悩める東大生の休学タビ記録

人生に悩んだ東大生が、休学して世界中を旅した経験を綴ったエッセイブログ。

「革命と螺旋階段」トリニダー|中南米旅エッセイ11

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塔に登って、楕円形に切り取られた壁から、遠くまで続くカリブ海を眺めた。イヤホンをつけて「彼こそが海賊」を流した。初めて海外に行ったのは、小学6年生でハワイだった。海の見えるホテルのバルコニーから、iPodを片手に「彼こそが海賊」を聞いた。当時12歳。今や23歳だった。自分自身、前に進んでいるのか、後ろに進んでいるのかわからなかった。

 

 

 

〈前回の記事〉

spinningtop.hatenablog.com

 

 

1. 地球の反対

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トリニダ中心部

 

ハバナを出て、次はトリニダにいくことにした。トリニダは東西に長いキューバの中央少し西くらいに位置し、旧市街にはコロニアル風のカラフルな建物が立ち並ぶ小さな町である。町並は世界遺産に指定されている。当初はトリニダにするかバラデロという町に行くか迷っていた。バラデロの海は世界一キレイだという旅人もいる。しかし、リゾート地なので、僕の金銭感覚と合わない。合わないばかりか、1人でリゾートに行っても楽しくないことはメキシコのカンクンで学んでいた。

 

同じ宿に泊まってた一つ年下の女の子2人と同じく一つ年下の男の子と自分の合計4人で、タクシーを借りて行くことにした。いくらしたか忘れたが、バスと対して値段は変わらなかったはずだ。キューバでは基本的に国営のバスViazul(ビアスール)で移動することになるが、本数が限られている上、キューバ内ではWi-Fiも自由に使えないので予約も難しい。タクシーで移動できるならこれに越した便利はない。

 

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ラ・ボギータ・エルメディオ

 

13:30に宿までタクシーが来てくれることになったので、最後にヘミングウェイ行きつけのバー「ラ・ボギータ・エルメディオ」に行ってみた。オビスポという観光客がよく来るキレイなエリアの端の方にあった。が、激混みだったので、中に入るのは諦め、別のカフェに入った。ラム入りのコーヒーを飲んだ。道端では花を売っていた。今日はバレンタインデーだった。今日本は何時だっけ?と考えてみる。日本はもう15日だった。ああそうかここは地球の反対だった、と思い出し足元に視線を落とす。

 

 

13:00すぎにタクシーは迎えに来た。僕は助手席に乗った。後ろの3人は良い感じで盛り上がっていた。僕はひとり「罪と罰」の続きを読み切った(日記には、「罪と罰」の感想として「理性による改革への警鐘」と書かれていた)。

 

 

2. 日本人疲れ

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トリニダ中心部

 

17時すぎにトリニダについた。僕を除く3人は、これまた日本人の間で有名なカサに泊まろうとしていた。僕はというと、正直そろそろ日本人疲れしていて、みんなとは別れたかった。ちょうど、そのカサのベッドの空きは3つしかなかった。宿の主人は、申し訳なさそうに知り合いのカサを案内してくれた。僕としては好都合だった。22歳3人組は、少し関係がギクシャクしていたようで、そのうちのひとりの女の子が僕についてきたがった。でも、なんとか宥めた。非情な言い方をすれば、断ってしまった。

 

案内してくれた宿は、日本人慣れしていなかった。英語もほぼ通じなかった。通じた単語は、冗談抜きで、"Tommorow"だけだった。久しぶりに身振り手振りを駆使した。少しだけ、「戻ってきた」感覚があった。部屋は個室で、部屋の中に専用バスルームまでついていた。他に泊まっている客はおらず、言葉が通じない以外は快適だった。

 

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泊めてくれた宿の中庭

 

 

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落ち着いてから、Viazulのバスターミナルへ行って次のバスを予約しようとするも、バスターミナルは既にしまっていた。少し街歩きして、中心から少し外れたところの公園で初めてWi-Fiを使ってみることにした。周りの人はみんなスマホをいじっていた。みんなしてポケモンGOをしているような違和感があった。久しぶりにネットに繋がったのに、大して連絡はきていなかった。

 

音楽の生演奏があるバーに行こうと歩き出すと、途中の道端で、さっき僕についてきたがってた女の子と男の子が2人でビールを飲んでいた。少し罪悪感がほぐれた。バーに着くと、この町特有の蜂蜜の入った「ラ・カンチャンチャラ」というカクテルを頼んだ。丸みを帯びた湯呑みみたいな器で、甘いが口当たりが爽やかで飲みやすかった。ほろ酔いの体内に、ラテンの音楽がずんずん響いた。贅沢な時間だった。3組くらいの客が店内で踊り始めた。音楽が終わった後で、バンドがCDを手売りにきたが、買わなかった。買わなかったことをあとで後悔した。

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ラ・カンチャンチャラ

 

 

3.  革命と螺旋階段

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翌朝起きると、まずはバスの確保に向かった。しかし、次に予定していたサンティアゴ・デ・クーバ(以下サンチャゴ)までのバスは、その日の朝8:00発のものしかなかった。もう間に合わない。そこで、翌日の朝に、サンチャゴまで行く途中にあるSancti Spiritusという街までとりあえず行って、そこから乗り換えてサンチャゴまで行くことにした。本当に行けるのかは、明日になってみないとわからなかった。

 

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旧市街中心まで行く途中は、所々舗装がなかったりして、路面の土が剥き出しだった。子供たちがボールを蹴って遊んでいて、昭和を垣間見た気になった。旧市街中心は、石畳になっていて美しいが、排水は悪く、水が溜まっていたり川になっているところがあった。ファゴッティングという特産の刺繍があちこちの露天にかかっていた。しかし何のために使うのかよくわからなかったので、僕はお土産にトートバックを買った。

 

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ファゴッティング

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革命博物館に行った。武力による革命の第一歩は許されるのだろうか、と考える。しかし、その問いが成り立つのは、平和ゆえかもしれないとも思った。理不尽に大切なものが損なわれていき、世界にNoを叩きつける手段が武力しかない。そんな状況もきっとあったのだろう。いや、今この瞬間だってあるのだろう。

 

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塔に登って、楕円形に切り取られた壁から、遠くまで続くカリブ海を眺めた。イヤホンをつけて「彼こそが海賊」を流した。初めて海外に行ったのは、小学6年生でハワイだった。海の見えるホテルのバルコニーから、iPodを片手に「彼こそが海賊」を聞いた。当時12歳。今や23歳だった。自分自身、前に進んでいるのか、後ろに進んでいるのかわからなかった。たとえ同じ範囲をぐるぐるしているだけだったとしても、せめて螺旋階段のように、上に登っていて欲しいと思った。

 

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4. クラブって苦手

夜になった。革命博物館の裏の丘に、洞窟を改装したディスコがあった。道中、例の22歳3人組と会って、一緒に入った。

 

フロア内に人がひしめいていたが、ある時、男女2人が、挑発しあうように、あるいは誘惑しあうように前に出てきた。それを取り囲むように大衆の中にぽっかりと空間ができた。踊り始めた2人の勢いに、誰もが釘付けにされた。

みているだけならいいのだが、シンプルに喧騒が苦手な僕は、1人の女の子と一緒に、入り口付近のベンチに座って世間話をしていた。あとの2人はわりに楽しんでいるようだった。

 

先輩に連れられて渋谷のクラブ(それもナンパ箱)に行った時のことを思い出した。早々にナンパを成功させて消えていく先輩を尻目に、僕はちまちまジントニックを飲んでいた。いい感じの視線を送ってくれる女性も何人かいたけど、耳元でささやくのが恥ずかしくて、結局会話にならず、どの女性も去っていった。男の人からは「火ある?」と聞かれ、「持ってない」と言うと渋い顔をされた。その時よりは、会話相手がいる今の方がマシだった。結局深夜1:30くらいになって、僕とその女の子はこっそり抜けて帰ることにした。残された2人もそのほうが都合が良いのかもしれなかった。帰りがけに、2人でビールを飲んだ。僕が払った。よく考えると、旅に出てから払う立場になったのは初めてかもしれなかった。

 

 

翌朝7:30。宿からバスターミナルまで向かう途中で、3人が泊まっている宿の前を通った。2階のバルコニーに宿の主人がいた。僕のことを見つけた主人は「コーヒーでも飲んでいくかい?」と誘ってくれた。感じの良い人だった。僕はバスの時間があるからと断って、代わりに3人へのさよならを頼んだ。