【インド編②】デリー散策
記念撮影と思いジャマーマスジットを背景にハザンと写真を撮ると、どこからか知らないインド人がやってきて俺とも一緒にツーショットを撮ってくれと言われる。
1人と撮ると、次々と俺も私もと写真をせがまれる。
気づくと僕の前に僕と写真を撮りたい人のちょっとした列ができている。
《前回のあらすじ》
どこか物理的にも精神的にも遠くへ行きたくなった僕はインドに行くことを決意。
そこでデリー駅に到着早々トラブルに見舞われるも、なんとか勇気を出し、切り抜けることができた。
1.ジャマーマスジット
この旅の目的は、
「バラナシで火葬場を見ること」
あわよくば生と死について何かしらの考えを得ること。
だから一刻も早くバラナシへ行きたくて、デリーに着いたその日の夜行寝台列車を既に予約してあった。
20:40発で翌朝に着く。
ただしそれまではデリー散策だ。
オールドバザールに看板の出ているぼろぼろのホテルに行き値段交渉をし(実際この突撃値段交渉はかなりスリリングであった)荷物を置き、アグラーセンキバオリという階段井戸を見て、初めてリキシャーに乗り、ジャマーマスジットというモスクに行った。
ジャマーマスジット近辺は旧市街と呼ばれる。
人口密度はあがり、路上には様々な露店が出ている。ほとんど全ての飲食店について、日本の衛生基準なら確実にアウトだ。
よくわからない無駄に柄の入ったTシャツが大量に売られ、たくさんの物乞いがいた。
ジャマーマスジットは少し高台になっていて、正方形の前庭の一辺に寺院があり三辺が階段になっている。
僕は寺院に向かって左側の階段から入ろうと試みた。
しかしどうやら今の時間は礼拝の時間でイスラム教徒のみ入場可能らしい。
なるほど、そこら中のスピーカーから大音量でヒンディー語のお経のようなものがかかっている。
僕は何人かのツーリストと一緒に階段に腰掛けて、礼拝の時間が終わるのを待った。
彼に会ったのはその時だった。
2.インド人ハザン(仮)
階段に腰掛けているとインド人の青年が話しかけて来た。
インド訛りだが英語をそれなりに話すことができ、身なりも清潔でリュックを背負っていた。学生のような雰囲気だった。
彼の名前は仮にハザンとしよう。
僕は適切に仮称をつけられるほどインド人の典型的な名前について知らない。
よくよく考えたらインド人で知っている名前は首相くらいかもしれない。
だからハザンという名前が自然かどうかはわからないが、とにかくそう呼ぶことにする。
数学の問題を解く時に、a=〇〇とする、とするのと同じだ。
実は彼の英語がわからなさすぎて結局何をやっている人間なのかよくわからなかった。大学生ではないけれど、最近デリーに何かの講習を受けに来ているようだった。21歳。僕もつい1週間ほど前まで21歳だった。
ハザンとたわいもない会話で打ち解けて、礼拝が終わると一緒に前庭に入った。
塔に登るとデリーの街並みが一望できる。
一面に広がる低層建築群と霧のようにかかる砂埃を見て、ああインドに来たんだなと感じた。
記念撮影と思いジャマーマスジットを背景にハザンと写真を撮ると、どこからか知らないインド人がやってきて俺とも一緒にツーショットを撮ってくれと言われる。
1人と撮ると、次々と俺も私もと写真をせがまれる。
気づくと僕の前に僕と写真を撮りたい人のちょっとした列ができている。
そのうちの1人などは、「写真を撮り損ねた」とジャマーマスジットを出てからも追いかけてきてわざわざ外で撮ったほどだ。
もはや日本人観光客など珍しくはないだろうとは思うのだが、100年前の日本人も西洋人を物珍しく見ていたのであろうということは想像できる。
ただ、いざ自分がその立場に立つとなんとも不思議な心持ちがした。
3.〈生きるか死ぬか〉のパラダイム
僕は電車の時間まで暇だったし、ハザンもまた暇だった。彼は僕の専属ガイドとなりインドの歴史を教えてくれたり、マーケットを案内してくれたり、チャンドニーチョークという場所にある美味しいローカルレストランを教えてくれた。
確かパラカワリガリという名前だったと思う。1人では絶対入りたくないような薄暗く汚い路地の一角にその店はあった。
インドでは、お金などいらないといって通りすがりの親切な人を装い、一通りガイドした後態度を急変しお金を払わされるという詐欺がある。
ハザンももしかしたらそうした詐欺なのかもしれない。ただ僕はハザンと過ごしたその時間が本当に楽しかったから、仮に騙されて最後少しお金を払わされることになってもいいかなと思った。
1人じゃ怖くて絶対歩けないような路地も彼についていけば歩けたし、彼を通訳として他のインド人とも会話ができた。
中々得られる経験じゃない。
しかし彼は結局騙すどころか、断固としてお金を要求しなかった。
レストランに入っても、「今日はたまたま現金の持ち合わせがないから」と言って自分の分を注文しない。
むしろ僕は申し訳なく思って彼の分を無理やり奢った。奢ったといっても100円か200円もあれば十分に食べれる量が出てくるわけだから、ガイド料と思えば安すぎるくらいだ。
ご飯を食べた後、近くの地下鉄の駅まで行き切符を買う。この時もハザンが僕の代わりに駅員さんから買ってくれた。
デリー駅に行って夜行列車に乗らねばならない時間だった。
地下鉄内ではインド人の少年グループがこれまた物珍しそうにカタコトの英語で僕に話しかけてくる。
途中僕は電車を乗り換える必要があり、そこでハザンとは別れた。
インドについての情報を集めようと思えば、やはり詐欺について気をつけろ、とか、話しかけられても無視しろ、とかばかりが出てくると思う。
僕も当初はインド人に対する警戒心をもはやそれが恐怖心に変化するほど強く持っていた。
しかし今日1日で、インド人に騙され掴み掛かられることもあれば、すっかり仲良くなったインド人もいたわけだ。
当たり前だがインド人みんなが悪い人なわけではない。
それに騙す人だって実は根から悪い人ではないのかもしれない。
少しデリーを歩けば、そこには、生きるか死ぬかの生活を送る世界があった。東京とは違った。
生きるために観光客を騙す。もちろん騙される側としては気分は害されるし、旅の予算が減るという問題もあるのだが、観光客が騙し取られる金額は観光客の普段の生活にとって、実は本来致命的な金額ではない。しかしそれは同時にインド人が何週間も生活していける金額でもある。
〈生きるか死ぬか〉から〈生きるか生きるか〉、つまり〈どうすれば良く生きられるか〉へとパラダイムシフトが起こった環境を当たり前として生まれてきた僕ら日本人の若者にとって、〈生きるか死ぬか〉のパラダイムを経験することは、何かその人間の器の容量に変化をもたらすのではないかと思う。
今思えばこの時僕はハザンのおかげで、インドに対する過剰な警戒心を解き、代わりに自分の器をインドに対して真正面から向き合わせることになったのだと思う。
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