悩める東大生の休学タビ記録

就活に悩んだ東大生が、やりたいことをみつけ、休学し旅をする。そんな旅の記録。

「不協和音」バンビエン|東南アジア旅エッセイ⑤

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引き返した方が懸命だったと思う。でも負けたくなかった。世の中には負けてもいい、あるいは負けていると思われてもいい。でも僕はその時負けられなかった。「一度妥協したら死んだも同然」。ずっと負け続けてしまう気がした。もうこれ以上僕は自分に負けるわけにはいかなかった。そのために休学したんじゃないのか、そのために旅に出たんじゃないのか。もはや僕が闘っているのは、日没までの時間でも砂利道でもなかった。

 

 

《前回の記事》

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1. 山賊に怯えてバンビエン

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ルアンパバーンからバンで3時間ほど南下した所にバンビエン(Vang Vieng)という小さな田舎町がある。

 

平成生まれの僕としては信じ難いことであるが、ルアンパバーンからバンビエンまでの間には山賊が出るという。夜行バス等に対する銃撃で死傷者が出ている、との注意喚起が外務省のホームページに載っていた(2016年4月11日付けの注意喚起で2018年8月3日に情報は失効ということになっているが、いまだに検索すれば出てくる)。

山賊なんて漫画の世界の話だと思っていた。しかし、漫画と違って山賊も実は情の厚いイイ奴なんて展開はないだろうから、夜のバスは避けてお昼のバンに乗った。所要時間はバスなら6時間、バンなら4時間と聞いていたが、僕の乗ったバンはくねくねした細い山道を猛スピードで駆け抜け3時間で着いてしまった。途中崖から落ちないかとヒヤッとしないでもなかったが、山賊の被害に合うよりはマシだと思った。

 

バンビエンは南北に流れる川とそれに並行して通る街道の間500mほどの間に、南北およそ1.5kmに渡って広がるこじんまりした町だ。ただし、そもそもラオスに首都ビエンチャン以外の巨大な都市があるのかは疑わしく、ラオスとしては普通サイズなのかもしれない。よく知らないけれど。

 

 

2. ドラッグ、チュービング、ブルーラグーン

 

バンビエンで有名なものは主に3つある。

チュービング、ブルーラグーン、そしてドラッグ。

 

もしあなたが旅というものに慣れていなかったとしたら、最も気にかかったワードは「ドラッグ」ではないだろうか。日本に生きている限り、通常であれば現実味の伴う言葉では無いはずだ。チュービングとブルーラグーンについてはおいおい説明することにして、まずは「ドラッグ」の説明をしようと思う。

ラオスでのドラッグは主にマリファナである。ラオスでだって違法なのだが、日本やその他の先進国のように警察が厳しく目を光らせているわけではない。むしろ半ば黙認しているような状態にある。レストランやバーに入ると(それも路地裏とかではなく普通に明るい道沿いの)、ありきたりな食事やドリンクのメニューの中に「HAPPYピザ」とか「バルーン」とか書かれていたりする。メニューには載っておらず、裏メニュー的に注文するパターンも当然ある。HAPPYピザのHAPPYとはマリファナの隠語であり、注文すればマリファナが生地に練り込まれたピザが出てくる。それは一見普通のピザだ。バルーンとはその名の通り風船なのだが、中に入っている気体が違う。マリファナの煙などが入っていて、風船の口からそれを吸うのだ。

僕はいつもレストランのメニューを眺めながら、足を踏み外すことのあまりの簡単さに冷や汗の流れる思いがした。

 

最近は取り締まりも厳しくなったと聞いたが、以前はヒッピーたちの溜まり場のようになっていたらしく、今でさえかなりの数のヒッピー寄りのバックパッカーが滞在している。余談だが、バンビエンは韓国のドラマか何かの舞台になったらしく、最近は韓国人旅行客の数も多い。実際バンビエンに住むラオス人の数よりも、韓国人の方が多いのではないかとさえ思った。

 

 

3. ひとりぼっちの川下り

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バンビエンではチュービングというアクティヴィティが有名だ。ジープのタイヤみたいな浮き輪を一人一つ渡されて、それに座りながら川の上流から下流に向かって流される。乾季は川の水量が少なくて流れが遅くなるため3,4時間かかるが、雨季の場合は(その時は雨季だった)1時間ほどで終わる。

 

ルアンパバーンで出会ったイギリス人の19歳の女の子2人と再会し、その子達とその子達が宿泊している宿(西洋人で溢れていて、安宿なのに中庭には大きなプールがある)の人たちみんなでチュービングへ向かった。全部で30人くらいはいたと思う。ソンテウと呼ばれる軽トラみたいな車が数台宿まで迎えに来て、スタート地点の場所まで連れて行ってくれる。僕らはひとり一つ浮き輪を持って、川に向かった。スタート地点にはウッドデッキに屋根をつけたみたいなバーがあって、まずはみんなお酒を飲む。川に流されてから途中にも河岸に何軒かバーがあって、一度上陸して休憩したい場合は手をあげて合図すると待機している子供が縄を投げてくれる。

 

最初のスタート地点で、僕はてっきり誰かインストラクターみたいな人が来て注意点等を説明してくれるものと思っていた。ビールを飲んでそれを待っていたが、誰かが説明しに来てくれる気配はなく、他のみんなもお酒を追加したりピンポン玉を使ったゲームをするばかりで一向に川下りをする様子は無い。僕はブランコを漕ぐ白人の女の子をぼーっと見つめた。そうしていると、5つくらい年上の韓国人のお兄さんが話しかけて来た。彼は川下りが本日2回目ということだった。チュービングには注意説明みたいなものはなく、基本的にはバーで飲み疲れた頃に皆勝手に川下りをするのだという。

 

僕にはその場が不協和音を発しているように感じられて、あるいは僕が引っ込み思案なだけかもしれないけれど、どうしても馴染めなかった。そしていつものように、僕もその不協和音の一部であるという事実について悩んだ。結局1時間30分待ったのち、ひとりで川下りすることにした。

 

水の色はコーヒー牛乳みたいで水面下がどうなっているかわからなかったし、ところどころ流れの早い場所や、木の枝が水面に顔を出している場所、ゴミが淀んでいる場所などあって、僕は必死で水を掻かなければいけなかった。

途中で休憩しようと思ったが、投げてもらった縄をつかみ損ねてしまい、最後までノンストップになってしまった。時々カヤックで川下りをする韓国人のグループに抜かされることはあっても、ほとんど人に会うことはなく、僕はただただひとり川の真ん中をなす術もなく流されていた。

 

一時間ほど経ってゴールのカフェに着いた時、ちょうど激しいスコールが降ってきた。寒さに震えてコーヒーを頼んだ。少しお気に入りだったTシャツは、川の水ですっかり汚れて、以降使い物にならなくなった。雨足が弱まってから、僕は裸足のまま自分の宿に帰った。

 

 

4. 一度妥協したら死んだも同然

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バンビエンは川を挟んで向こう側(橋を渡るのに若干の通行料がかかる)にずっと西の方へ伸びる道があって、その両側には田と小高い山が広がっている。

 

その道をずっと進むと5kmくらい先にブルーラグーン1という青緑色の池があって、泳いだりちょっとした飛び込みができる。そこからは舗装されていない砂利道になって、さらに3kmほど先にブルーラグーン2というのがある。さらに3kmほど行くとブルーラグーン3というのがある。

 

宿で知り合った日本人の旅人と一緒に町でロードバイクを借りてブルーラグーン1を目指した。ブルーラグーン1までの道は舗装されていたから比較的楽な道のりだった。ここまで来たからには飛び込みの一つでも、と思ったが、あまりの外国人観光客(そのほとんどは韓国人だった)の多さに冷めてしまった。結局僕ら二人はそこで別れて、僕だけがそのままブルーラグーン3を目指した。

 

少し細くなっている砂利道に入った。道沿いにローカルな村があったり、村人総出という感じで稲刈りのような作業をしているところもあった。慣れないロードバイクでお尻は痛くなったし、地面の凹凸が直接足に伝わった。観光客を乗せたソンテウが後ろからやって来て、砂煙を巻き起こして通り過ぎて行った。日が傾き始めていた。当然のことながら街灯など一つもなかった。お尻の痛みも耐えがたくなっていたが、ふくらはぎに上手く力が入らなくなっていた。僕は下を向いて無心で足を動かした。

 

引き返した方が懸命だったと思う。でも負けたくなかった。世の中には負けてもいい、あるいは負けていると思われてもいい。でも僕はその時負けられなかった。「一度妥協したら死んだも同然」。ずっと負け続けてしまう気がした。もうこれ以上僕は自分に負けるわけにはいかなかった。そのために休学したんじゃないのか、そのために旅に出たんじゃないのか。もはや僕が闘っているのは、日没までの時間でも砂利道でもなかった。

 

ついにブルーラグーン3に着いて、僕は砂利道に倒れ込んだ。横になったロードバイクのチェーンがシャーという音をたてて勢いよく空回りした。リュックサックは汗でぐっしょり湿っていた。正直ブルーラグーンそのものには特に惹かれなかったし、それなりの入場料がかかったから入りもしなかったが、何か晴れ晴れしい気持ちになった。

 

全力を振り絞ったのは、いつぶりだったろうか。 

僕は思いっきり水を飲んだ。

 

 

 

 

 

あとがき

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翌日の夜、宿が同じ日本人の旅人と2人で1台原付を借りて橋を渡って蛍を探しに行きました。

あまりの暗さに途中で怖くなって引き返してしまい、結局迷子の蛍一匹だけしか見られませんでしたが、頭上には満点の星空が広がっていました。

 

ところでほぼ一人言だと思って欲しいのですが、僕は今すごく焦っています。何に焦っているのかイマイチよく分からないけれど、もちろん原因みたいなものはあって、でもそれは自明のようで自明ではない。とにかく、あといくつかの文章を書くまでは次の旅には出られないなと思っています。(一昨日日本旅から帰って来ました)

 

 

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